アントレプレナーの語源は、マルコポーロ時代に生まれたフランス語Entrepreneurにあり、現在は英語化して世界中に広がっている言葉である。
そもそもは、フランス語の接頭辞Entre(=Between="間")と名詞Preneur (=taker="取る人")が繋がった言葉、直訳すればBetween-taker="間を取り持つ者"という意味で、当時は、「仲買人」を意味しアジアの商品を買いつけて、帆船でアフリカを経由、砂漠を横断しながらヨーロッパまで荷を運び危険や災難に立ち向かいながら命をかけて事業を成し遂げる果敢な商売人のことを指していたようである。
そうした歴史を背景に、やや言葉遊びではあるが、改めて現代の企業経営という文脈の中で語源の持つ意味の更新を試みると、「現状」と「変化」の"間を取る者"、従来の伝承的な制度、習慣、常識に囚われず、崇高なるミッションを推進力に"不確実性を恐れず、しかし戦略的"に自らが「変化」を興し、「成長」をもたらす人、または組織のことを指すと表現してよかろう。
近代経営学の泰斗、ジョン・メイナード・ケインズは、資本主義経済理論のバイブルとも言えるその名著「一般理論(The
general theory of Employment, Interest and Money)」の中で、資本主義経済の原動力は、そこに参加する経済活動主体の"アニマル・スピリット"にあると論じている。
"アニマル・スピリット"、とは、すさまじいエネルギーを持った活力・行動力・瞬発力、ある種の衝動性を伴った「建設的血気」である。
「変化」とは、合理的な計算ではなく、この「建設的血気」が大飛躍を可能とし、「成長」へと導く。
起業も企業経営も、その成功は、この「何が何でも成功させる」という当事者の強い「建設的血気」に負う所が大きい。
アントレプレナーという言葉は日本では1990年代半ば、いわゆる第3次ベンチャー・ブームの頃から広く使われるようになり、過去3回のベンチャー・ブームは、いずれも、オイルショックや円高不況、バブル崩壊など社会・経済のパラダイムが大きく転換すべき時期に起きており、いずれもベンチャー企業がその変革主体(チェンジ・エージェント)として位置づけられてきた。
このため、アントレプレナーは、実質的な「変革者」であり、単なる会社の創業者とは性質的に異なる者として区別されてきたと認識すべきである。
今日の企業は「変化適応業」であると言われるが、今日直面する時代の大きな変曲点において現状延長型の対応だけでは十分ではない。企業が真の競争力を持つためには変化に対応するだけでなく、自らが変化を興す「変化創出力」が必要とされている。
革新的発想で従来の常識を突き崩すような「建設的血気」こそ、アントレプレナーシップであり、それは起業、新規事業だけでなく既存事業の改革、組織の変革、業界ルールの革新を含めたチェンジ・エージェントとしての一連の思考・行動様式である。
他国との比較においてまだまだ未成熟と言われながらも前述の伊藤氏のような起業家(アントレプレナー)が誕生する土壌は肥沃とは言えないまでも、一応の体裁を整えつつあり、ベンチャー企業が日本の産業構造において確たるレイヤーを形成したと観察する時、むしろ、自警すべきは「メカニカル・ルーティーン(消極的正気)」の敷衍した大企業を含む既存の事業組織ではなかろうか。
創業時の活力を取り戻し、あえて「たゆまぬ環境変化への適応」という、企業としての本来の活動に立ち返る「アニマル・スピリット」を必要としているはずである。
94歳になる今も米国クレアモント大学院大学教授として社会学、経営学の教鞭をとるP.F.ドラッカー氏は、"アントレプレナーシップ"と"企業経営"について、興味深いアナロジーを展開している。
「(大企業)経営とアントレプレナーシップは対極にある、互いに相容れない概念であると思われているようであるが、それは、バイオリン演奏において、アルコ奏法(弓奏)とピッチカート奏法(指で弾く)に相互排他性があると言っているようなものだ」 |