■返品記録
おはようございます。
本多泰輔です。
戦前の書籍雑誌の大取次ぎ、東京堂書店の松本昇平さんによりますと、返品率の最高記録は大正時代に改造社が出した島田清次郎の『勝利を前にして』が、空前絶後の99%。
改造社は、本当に戦前の出版界にいろいろな歴史をつくってますね。
結局、出版社としては山本實彦社長一代限りでしたが、ある種、版元冥利に尽きると思いますし、偉大な出版人と思います。
返品記録のタイトルホルダーとなってしまった島田清次郎は『地上』(新潮社)で、ブレイクした大正時代の代表的ベストセラー作家で、若き天才と絶賛されていたのですが、こちらも短命でこの『勝利を前にして』が最後の作品でした。
返品率99%では、いまなら即廃棄ですから、在庫の山はまさに「処理を前にして」という状態だったわけです。
現代にあって、改造社の記録を破る画期的な書籍はあるのでしょうか。
出版社は道楽で本を出していません。数百万のコストをかけ、あわよくば大ヒット、悪くても内野安打を目指して出版します。
返品もできればないほうがよく、悪くても40%以下に抑えたいと考えています。
返品率99%なんて本をつくった日には、編集者は一生浮かばれません。ま、しかし、そんな劇的な本は普通下っ端編集者にはつくろうったってつくれません。
■ 出版決定は全社的議題
一冊数百万のコストをかける以上、出版企画は全社的な決め事です。
名称はともかく出版検討会議、あるいは企画検討会議のない出版社はないでしょう。
一般に編集部員は個々の企画を編集部内の会議を経てこの会議に提出します。会議のメンバーは、社長、営業部長、編集長、およびそれに次ぐポジションの人間たちです。
一般編集部員の企画は、社内のこうした関門を突破して陽の目を見るわけですので、そうそう返品率99%なんてものはつくれないのです。
では、どういう場合にそんなもの凄い企画が通ってしまうのか。
それはエライ人たちが企画を担当した場合ですね。
著者であるあなたが首尾よく若い編集君を説得し、企画を持ち込んだとします。
企画は編集君の手を経て編集会議あるいは出版検討会議に上げられます。そのとき企画の死命を決するのはなんでしょう。
大体会議では次の点が問われることになります。
≫ どのくらい売れる(売れそう)か
売れるとわかっている本ならば会議の必要も無いのですが、長年返品率40%のつらいシノギを続けている業界、そう簡単に売れないことは骨身に染みてわかっています。
そこで視点を変え
≫ 自社のラインナップに納まるか(既刊本のテーマの隙間を埋められるか)
という検討もいたします。
当該出版社の出版傾向やラインナップの隙間は、主要都市大型の書店をながめ図書目録を精査すれば概ねつかむことができます。
ただし、長年見続けていれば大した労をかけずとも状況をつかめますが、最近の書店は出版社ごとに棚をつくったりしませんので、始めてのかたはかなり手こずると思います。
≫ 類書(同様なテーマの他社の本)は売れているか
他者の様子ばかりうかがうマネシタさんでは、情報の先端を行かねばならぬジャーナリズムとして、いささか忸怩たるものがありますが、経営という重い現実の前には進取の志も一歩退かざるを得ません。
というようなことをねちねちと突っつくですが、検討会議を突破する鍵は実はこうしたことの他にあります。
■ 担当編集者の熱意こそ
出版社とて会社ですから、お金も大事ですが人材も大事です。
どちらをどの程度大事にするかは会社によって異なりますが、担当編集者が熱意を持って食い下がる根性を見せれば、経営者も社員の意欲を阻喪させるより、多少の損を覚悟してもやる気を伸ばしたほうがよい、という風に傾きます。
そこは長年損になれた体質ですから「大損にならなければよい」という肚は、すぐにくくれるのです。
ですから、社内の会議を突破する鍵はまさに担当編集者の熱意にあります。
人馬一体。
鞍上人なく鞍下人なし。
担当編集者と著者は、企画に関しては一心同体です。
このケースですと、著者が人で馬が編集。
原稿を書き始めるとこの役割は逆転します。
騎手たる著者は、馬が必死に走れるよう条件を整備し、気持ちを奮い立たせるよう励まし続けなければいけません。
会議には、長年他人の企画にけちをつけ続けてきた、批判のベテランたちが他にやることがないのか、生き生きと会議に臨んでいます。
売れない理由は彼らの前頭葉に限りなく蓄えられています。
馬はこうした障碍物をクリアーしゴールしなければなりません。
騎手は、老獪な障碍物たちの陰湿な陥穽に馬がひっかからないよう、あるいはひっかかっても十分論破できるよう、理論武装のための情報をたっぷり与えておかなければなりません。
また、本企画を世に出すことの意義、社会的使命などマインドコントロール・・・ではなくて、マインドトレーニングもみっちりこなしておきましょう。
■ はじめが肝心
飼葉を食わせなければ馬も走れない、というのは事実ではありますが、編集者は馬ほど純粋ではありませんので、飼葉だけ食ってさっぱり走らない、または走るふりだけする恐れがあります。
経験からいってもあまり飼葉を食わせると却って走りませんので、飼葉や人参はあまり効果がないと思ってください。担当編集がその版元の役員、トップであれば話は別ですが。
さて、企画の打ち合わせを終え、担当編集者が
「じゃあ、いっぺん編集会議に出してみますから」
と気合の入らないようすで席を立ったとすれば、あまり見込みはありません。
一度会議でボツになった企画を捲土重来を期して再提出するのは、朝青龍の怒涛の寄りを土俵際でうっちゃるより難しい。
編集者とてサラリーマン、赤の他人の著者のためにそこまで献身的に粘れる者は、悲しいかなおりません。
勝負は最初の会議にかかっています。ここである程度の感触、手がかりをつかまねば粘ることもできません。
「とりあえず編集会議にかけてみますからあ」
などと、ぼやあっと言おうものなら、
「そこへ座れ!」
とまず引き留め、いかに本企画が意義深いか、いかに社会的使命があり、多くの潜在読者が存在し、みんながこの本の登場を待ち焦がれているかをデータをもって理解させなければなりません。
それでも理解できなかったり、気分を壊して怒り出したら、そのときは相手の意見を聞いてみましょう。
「先生がいわれるほど社会的な意義があるとは思えない」
「類書が売れてないのに、いまさら2番手の本を読者が待っているはずがない」
「データが不十分だ」
など、かいつまんで以上のようなことを発言したら、張り倒す前に一度冷静になり、始めて相手が真剣に企画に向かってくれたことをむしろ喜びましょう。
そして、もう一度自分の企画を見直してみましょう。
著者の熱意は、担当編集者に伝わらなければエネルギーになりません。著者の思い込み、見当違いの可能性もあります。
ここは相手の意見を反映した情報を改めて用意することを約し、会議への提出はそれまで待ってもらうよう、あえて進言してもよいと思います。
熱意を共有するためには、編集との齟齬を埋めることが大事です。せっかく相手が本気になったのなら、ここからがスタートです。
とはいえ、編集者もいろいろ、倶に天を戴かない編集者もいるはず。不幸にして相性の悪い人とであってしまったら、慫慂と運命に従い辞退するしかありません。
それでも相手が「とりあえず会議に出してみます」というなら、それを押し留めることもありません。
会議には相性のよい人間も出席しているかもしれません。
チャンスは生かしたほうが得です。
それに企画が通ってからでも相手が気に食わなければ断ればいいことですから。
企画さえ通れば、今度は馬に気を使うのは、編集者の番です。
■ まとめ
編集者もそれで食っているプロですから、著者の発言に唯諾々と従ってくれる人間はめったにいません。
あるいは「とりあえず会議にかけます」とその場をかわされることのほうが多いかもしれません。
こうした対応がすべてNOを意味しているわけではないことは、このメルマガで何度もやっている出版成功体験インタビューを見ても明らかです。
「とりあえず会議…」から見事発行に至ったケースも多々あります。
でも表面化しない出版失敗体験で、「とりあえず会議…」ということで、結果「通りませんでした」で終わってしまったケースもまたそれ以上にあります。
つまりは担当編集者に熱意を持たせる企画内容と著者の姿勢が重要になるわけですね。
一方、幸いにして相手が出版社の偉い人、トップあるいは役員なら社内の関門はないも同然ですので、飼葉でも人参でも食わせて企画をOKさせればそれで解決です。
人脈って大切ですね。
でも、返品率99%この人たちから出るわけですから、そのへんぬかりなく。
じゃあどうすれば編集者に熱意を持たせられるのか、なにかその気にさせる手段があるのか、についてはもう紙幅がありませんので、また機会を改めて。
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