おはようございます。
本多泰輔です。
『ダビンチコード』累計1000万部突破だそうです。
すごいですね。
日本人の12人に一人は手に取ってるんですからね。買った人は半分くらいでしょうけど、それでも500万人!24人に一人が読んでいます。
角川書店の海外文学は割合質がいいと思ってましたが今後ともがんばっていただきたいものです。
さて、本日の表題です。
別に出版社に就職しようってわけでもなし、なんでいまさら業界のことなど、知らなくても何の痛痒もないわ、とお思いでしょうか。
実際そのとおりですなんですが、碧天舎倒産騒ぎをきっかけに共同出版業界の内側を知るに至り、もう一度この辺の情報を知っておいてもらったほうが良いかなと思った次第です。
別に他社の商売を妨害するつもりは毛頭ありませんし、自費出版というのは出版文化を支える土台ともいえる立派な仕事だと思っております。
実際に扱ったものも含めて、私の知る限りでも自費出版から話が始まりベストセラーになったものは、10万部以上のものだけに絞っても10点以上はあります(25年間で)。
一方、著者を口説き満を持して出版したものが鳴かず飛ばずの大不良在庫になったことも枚挙に暇ありません、というより数え切れません(同じく25年間で)。
自費出版だろうがなんだろうが売れるものは売れるし、売れないものは売れないというのが鉄のセオリーです。
■共同出版というビジネスモデルの不思議
ここで扱いたいのは共同出版、または協力出版と称する新しい(すでに旧聞かもしれませんが)形態の出版です。
本メルマガ読者のかたのところにも一度や二度は「共同出版しませんか」というセールス電話がかかってきませんでしたか。
聞くところによれば、共同出版というのは「このまま埋もれさせるには惜しいが、売れるかどうかわからないので、著者と出版社でリスクを負担しあう形で出しましょう」ということだそうです。
本多には理解しがたいのですが、その初版発行部数は500部とか300部という極少部数、いくらなんでも少なすぎて市場には回らず、「埋もれさせるには惜しい」作品は文字通り読者の目に触れることなく片隅に埋もれてしまうんじゃないでしょうか。
もったいない。
ジュンク堂や八重洲ブックセンターのように、「すべての本を置く」という国会図書館並みの志をもち、スペースをやりくりできる書店でしたら、ぽつんと一冊搬入されても棚に挿しておくでしょうけど、ほとんどの書店にとっては少部数の本は扱いに困ります。
ゆえにすぐ返します。以前に「即返(入荷即返品)」と書きましたが、決して冗談ではありません。だから共同出版の会社のほうでいくつかの書店と契約し、棚をキープしているとのこと。
「埋もれさせるには惜しい本」はとりあえず世間の風に当たることができました。よかった、よかった(しかしけっこうお金かかりますね)。
もうひとつ、あげ足をとるみたいですけど「売れるかどうかわからない」本は、普通出版しません。
売れると思ってたって売れないのが本なのに、売れるかどうかわからないけどやってみましょうなんて、社長がそう言うのでもない限り絶対に企画会議を通りません。
■多品種大量見込み生産
出版が初速重視、短期勝負、短命になっているということは前にも何度もここで書きました。営業的にはハイリスク、財務的に云えば高コスト体質なのです。
多品種なのは元からですが、見込み生産というのるかそるかのバクチを打っている出版業界からすれば、初版500部で商売ができるならこれに過ぎるものはありません。
明治大正時代までは、大手版元も初版はこのくらいの数字から始めました。
当時は委託制度というものはほとんどなく、書店注文は買い切りであり、一方書店は読者(お客)に新刊案内で予約注文をとるという、売れる数だけつくるとても堅実な商売をしていました。
基本的にお客の顔が見えているビジネスだったわけです。それでも10万部を超えるベストセラーは頻繁に出ていたのですから、当時の日本経済の規模から見れば市場が未発達だったわけでもありません。
とはいえ、委託制度は禁断の果実、委託によって流通する部数がイタク倍増したことは事実です。出版業界はハイリスクでなければハイリターンのない世界になってしまいました。
そういうわけで、いまは本を売るだけで会社を維持しようと思えば、初版5000部以下では立ち行きません。
雑誌があるとか、会員制のビジネスをやっているとか、教科書をつくっているとか、別に収入源があるなら無理して大量部数を配本する必要はありませんが、単行本、あるいは文庫新書で生きていくには、お金をかけないことにはまとまったリターンが得られません。
それは大企業の市場に中小零細が大挙して参入しているような状況です。ですから出版だけでまともに商売ができる会社は、業界全体の2割くらいしかありません。
『ハリーポッター』の静山社のように突然上位に躍り出る会社もありますが、あれだけの配本をする以上かなりの資金を必要としますから、編集プロダクションをしながら時々本を出していた会社が単独でベストセラーをつくることは不可能です。
■ビジネス書版元の現状
おなじみ版元ランキングでいえば、Fクラスの会社でも平均的な初版発行部数は8000部でしょう。
販促面では紀伊国屋書店、八重洲BC、その他主力書店には毎週1回担当営業が訪問していますし、各チェーン店本部には月1回、地方書店でも名古屋、大阪などの大都市部には四半期に一回は出張しています。
新聞広告は日経本紙、朝日には2〜3ヶ月に1回、もう少し安い料金の新聞だとほぼ毎月。さらに看板、ポップ、あるいは直納、あるいはフェアとさまざまな工夫と予算を注ぎ込んで売ろうとしています。
本は一箇所だけで売れても部数が伸びません。紀伊国屋書店本店のような大型店であれば一日にひとつの本が500冊も売れることはありますが、普通のお店では1冊から5冊。
したがって同時にあちこちの書店で売れるものでない限り、一万部、二万部という販売部数になりません。
同時に全国あちこちで売れるためには、さしあたり本が書店に並んでなければなりません。全国書店に5冊以上並べるためには、8000部でも足りないのです。
これら投資額を回収するためには10000部以上売らなければなりません。それもなるべく早く。500部ずつちょぼちょぼやっていたのでは半年を待たず倒産です。
金をかけなければ本は売れず、さりとてかけても本は売れず、というのが業界全体の事情なのです。つまり刷部数500部や300部では到底市場で売れることをイメージできません。
提携書店を50や100持っていたとしても焼け石に水、とにかく基本ボリュームが足りないのです。
本当は1反の田んぼにだけ水を入れたいのに、1反に入れるためには1000反の田んぼに水を入れなければならない、そういう業界なのです。この辺はいつか構造改革の必要に迫られるでしょうね。
■出版社の売る姿勢が大事
ひとつの書店に1冊でもあれば、いつか花咲くこともある。1冊が2冊、2冊が4冊、4冊が・・・とだんだん口の端に乗り広まって扱う書店も増え、やがて全国書店に伝わっていくこともあるのではないか。
いや、いい話です。あるといいですね。
でも隕石に直撃されるより少ない確率です。
いまのところ草野心平が宮沢賢治の本を縁日の夜店で発見して以来ありません。冒頭に私が挙げた、過去自費出版からベストセラーになったケースは、いずれも初版8000部で全国書店にしっかりマーケティングした結果です。
本を多くの人に読んでもらいたい、あるいは一冊でも多く販売したい、ちょっと志の透明度に差はありますが、著者、作り手が強い気持ちで販売しようと思い、努力をしなければけっして部数が伸びることはありません。
書店だってつまるところ版元営業の意欲を買って本を並べるわけですから、出版社に売る意欲が感じられない本を扱うことはありません。
そして最前から申し上げている通り、部数やマーケティング努力によって版元の売る意欲は量ることができます。書店もたくさんの版元を見ておりますから、どこがどれだけ本気なのかは手に取るようにわかるのです。
はっきり言って300部や500部の本をつくってベストセラーがねらえるほど、出版界はゆるい業界ではないのです。それでも共同出版で本を出す人が毎年3000人以上いるということは、なにかもっと他の強い動機があるのでしょう。
本が出ること自体が大切なのかもしれません。そういう意味では付加価値のある自費出版なのでしょうか。
■まとめ
売れる本をつくるためには、本づくりにも金をかけなきゃいけない時代ですから、近頃印刷費がもろもろ抑えられているのはありがたいことです。
初版8000部つくるには300万くらいは要りますからね。それに宣伝広告費、印税と加わるとやっぱりさっさと重版かけて10000部を超さないと悲惨なことになります。
しかも本のコストがもっとも高いのが初版発行時ですから、1000点も2000点も新刊を出す出版社はどういう収益構造になっているのか。足元を覗き込むのが怖いでしょうね。しかし、この原油高で紙は確実に上がってきてますから、一冊の値段を上げるか、ページを減らすか、各社密かにたくらんでいることでしょう。
配送コストを考えるとこれまでだったら単価を上げる方向に行くのですが、ブックオフの健闘もあり簡単には価格に転化できない時代ですから、しばらく呻吟することになるのですかね。
ま、本が売れていれば何の憂いもないのですが。困ったことは売れる本がない。角川書店と静山社の本だけが売れててもね・・・。
ではまた来週。
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