おはようございます。
本多泰輔です。
虫の音に深まる秋を感じる今日この頃、みなさまお元気でしょうか。ここ数年で気が付いたことなんですが、何か秋になってからのほうが蚊の飛ぶ姿を見る機会が多いよう思います。
いったい夏の間はどこにいるのやら、ほとんど見かけることがありません。蚊の分際で避暑でしょうか。
古い友人(付き合いが古いせいで人間も旧い)が絵画を始めたとかで、同好の士数人で画廊を借り展覧会をやっております。
本多は自分ではほとんど何の取り柄もありませんが、画家、彫刻家、陶芸家など日展レベルの知人・友人・親戚が多く、素人の水彩画なんぞと軽んじながら覗きましたところ、あにはからんや意外な盛況振りで、さすがに買っていく人はいませんけれども入場者は引きも切らずという状況です。
見ればみなさん古い友人と同じ年恰好の人ばかり、絵画人口は奥行きが広いんですねえ。
芸術の心はだれにもある。まさに秋、山が色づき鳥も鳴けば、やはり「いずれか歌を詠まざりき」という境涯になるんでしょう。
歌じゃなくて絵ですけれども。
■「出版」素朴な疑問
ひょっとするといまさらながらかも知れませんが、本多としてはこんなことはすでに世間の周知、知悉することと思っておりますが、先日とあるかたから「出版についての素朴な疑問」をぶつけられましたので、ここは一応投げ返しておこうと思います。
ご存知の人はスルーしてください。知ってるつもりだったけど知らなかった人は、そのまま読んでください。
「書店にある本は、台に積み上げられているものと棚に並んでいるものがあるのはなぜか?」
この質問を聞いたときはびっくりしました。売れる本を平積みにして、売れないのを棚に挿してるくらいのことは、世にスレタ人々なら当然察しのつくこと。
つまり「トリビア」風に言うと、この質問の意味はこうなります。
「なぜ売れない本を棚に挿しておくのか」
そう聞かれるとこっちも不思議です。
売れなければ返品、というのが出版界の常識、事実返品率は業界全体で40%を超える勢いです。売れない本なら全部返して平積みだけすればいいじゃん、という疑問もむべなるかな。
素朴な疑問は怖いですね。
■歴史的な存在
以下本多の個人的見解です。ひとつは習慣的なことがあります。出版界には新刊を優遇する性格があります。古来よりの性格なので、もはや習慣です。新刊しかない雑誌は面陳が原則です。
単行本も新刊は平積みされます。
平積みのスペースは限られているので、いきなり棚から始まる可哀そうな新刊も数多くありますが、大手老舗の新刊ならまず平積みからスタートします。昔の単行本はそんなに次々と新刊が出ることはなかったですから、新刊を出すとなれば出版社も相応に満を侍して期待のできるものしか出しませんでした。
ですから売行きもまあまあ期待に沿うものだったのでしょう。出版業界もその草創期は、委託制度ではなく買取が主流でしたので、売れなくなった新刊を取次ぎに返すこともできないため、棚に収めていつか来る読者を待ち続けていたのでしょう。
お店の在庫の保管と陳列、両方の意味で棚は意義があったのです。で、結局あんまり待ってもお客が来なければ、古書業界のほうへ流れたのでしょうね。あるいは安売りで棚ざらい一掃処分ということもあったかもしれません。
ただ、買いきりの時代、あんまり在庫を残すということは己の目利きの悪さを晒すことになるので、おおっぴらにはやりにくかったでしょう。
現在では、新刊の売れ行きが止まると棚に収まる、棚に収まって動きがなくなる、あるいは棚が狭くなると返品という流れです。つまり今日の棚は、出版流通全体で段階的な在庫スペースというわけです。
■集客力
東京池袋にジュンク堂という大型書店があります。実験的なお店で、図書館のように棚挿しによる陳列と店内であれば比較的自由に本を読むことができる。そのための椅子もたくさん用意されています。
中には図書館と勘違いしているのか、そこで調べ物やノートを取ったりしている人もいます。
版元の人間から見ると、いくらお店のサービスだからといって棚にある本を私物のように扱う人がいるといくぶん腹立たしくもなりますが、汚損本は返品不可ですからお店が太っ腹なのでしょう。
ジュンク堂えらい!
さて、そのジュンク堂さんですが、棚で本を陳列する目的は「全ての本が置いてある書店をつくること」で、その結果「ジュンク堂」に行けば必ず欲しい本が見つかると多くのお客が足を運んでいます。
そう、ジュンク堂さんほどではないにせよ、棚に大量の在庫を収めることは集客力につながるのです。新刊しか置いてない本屋さんでは客層が狭くなってしまいます。
そんなわけであまり売れない在庫であるにもかかわらず、書店さんには棚があり、棚には本が詰まっているのです。と、不肖本多は考えております。正解をご存知のかたがいたら教えてください。
■印税・初版部数の決めかた
要するに印税額と印税率のことを聞きたかったのだと思います。再び「トリビア」風に言えば「本を書いたら儲かるのか?」ということですね。
このテーマは去年このメルマガでも書きましたので、バックナンバーを見ていただいたほうがよいのですが、結論を申し上げれば「そういう人もいるよね」ということです。
印税には印刷部数に対して支払われるものと、実売部数に応じて支払われるものとがあります。印税率でいえば、前者よりも後者のほうが高いわけです。
昔は後者のケースはほとんどなく、印税といえば印刷部数×10%というのが一般的でした。新人も10%、有名人も10%、なかには10%を超える超有名作家もいたこといたようですが例外中の例外です。
平和な時代でした。近年は10%だったらよいほうで、立場の弱い新人著者はどんどん率を削られてしまっているようです。といって、ビジネス書では、印税を求めて本を書いている人のほうが少ないので、大した波乱は生じてないようですが。
印税率が高ければよいかというと、それはそうでもありません。経済的にいってもこういうことがあります。
定価1,000円の本で、印税率10%だけど初版刷り部数5,000部、かたや定価は同じだが印税率は8%、しかしながら初版刷り部数は10,000部。
どっちがお得でしょうか。
有名作家との交渉で山場になるのが、初版の部数です。定価を上げれば支払額は増えますが、売行きに影響する恐れがあるので定価は動かさないのは、両者利害の一致するところです。
増刷を重ね、50万部のベストセラーになれば、印税率の高いほうがいいに決まってるじゃん、当然印税率10%がお得、とも見えますが大抵は初版部数の多いほうを採ります。
有名人の場合には10,000部などと控えめな要求は出しません。最低でも最初に20,000部配本することを要求されます。
有名人といえども、そう簡単にはベストセラーにならないことを痛いほど知っていることの証左かもしれませんね。つまりここに「本を書いて儲かるのか」の答えがあると言えませんか。
■まとめ
肌寒いかと思うと、日中ちょっと汗ばむようなときもあったりと、まあそういう季節なわけですが、みなさまご健康でご活躍ださい。
本多は今月編集、執筆で死ぬほど苦しんでおります。
では生きていれば、また来週。
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