おはようございます。
本多泰輔です。
今週まで秋の読書週間です。
書評家の豊崎由美ってえ人が毎日新聞に書いてましたけど、読書人口というのはいつの世もそう大きくは変わらない。コアな読書層(まあ、不正確を承知でいえば毎月5冊以上単行本を読む人)の人口も年間の平均読書数も十年一日、いや30年間をとってもほとんど変わらない、今も昔も最も多く本を読む世代は10代であると。
中高年というのは、あんまり本を読まないのですね。ま、そうはいっても10代でビジネス書を読む人はそう多くないでしょうけど。いずれにしても「いまの若い人は本を読まなくなった」というのは、いわば「迷信」のようなものだそうです。
この部分を書くためにnifty新聞記事検索に55円使ってしまいました。もったいないのでもう少し書きます。
豊崎由美という人は、辛らつな書評で一部コアなファンを持っているそうです。これだけ生死不問で他人の作品をこき下ろしてたら、多分いろんなものが入った手紙が来るのだろうなあと思いますが、いっこう屈する気配はありません。
書いてるうちに日和る本多なんぞとは根性が違います。
『百年の誤読』はなかなか売れました。書評っていうのは縁の下の力持ちで地味な存在ですから、このくらい個性がないといけないのでしょう。そういえば小林秀雄もけっこうキレのいい発言してました。
ちなみに私はこの人の『金色夜叉』評を読んで、古書店で『新金色夜叉』を買いました。大体主人公の名前、間貫一っていうのがいいですね。その行動はあまり一貫してはおりませんけど、お金と愛の間で一心を貫くというのは、なかなか大変なことです。
最後に心ある金の使いみちに人生が傾きかけるのですが、作者である尾崎紅葉が早世してしまったので貫一の決断も未完のままになってしまいました。貫一のことだから、あと2〜3回は裏切られることになったのでしょうな。
■ネット情報の価格
いまを去ること10年ほど前、各銀行、シンクタンクで「経営情報をFAXで送る」というサービスがありました。多分いまでもあるでしょうが、もうさすがにネット上で検索できるのだろうと思います。
FAX情報サービスは、音声受け付けシステムとデータベースを組み合わせたもので、ポイントは「あらゆる経営情報を網羅したデータベース」でした。
労基法、就業規則、マーケティング理論、品質管理、接客技術、経営計画、税金、とにかく経営に関するものなら何でもあるというのが売りで、このデータベースをつくるのに各社随分お金をかけたようです。
情報検索は、データベースの索引本から該当資料を探すため、どこもカラオケの索引本(いまはカラオケも索引本は少ないようですが)のような分厚いメニューブックを用意していました。
いずれの組織も価格は年会費だったように思います。課金システムでは何らかの問題があったのでしょう。月1000円〜1200円くらいの価格帯が多かった気がします。
そのころ某銀行系のシンクタンク(現在は「みずほ」)の担当部長とその部下の人、それに日経新聞の部長をまじえ昼飯を食ったことがありました。記憶では飯代はシンクタンクが払ったと思います。
シンクタンクの部長が、なにやら今度「経営情報のFAXサービス」をやるからデータが欲しいというので、私が「こんなのならありますよ」と当時所属していた会社で持っていたデータを紹介したところ、「もっと基礎理論的なものが欲しい」と。
要するに「もっとインテリジェンスの高いものはないのか」ということだったのですね。それで「経営の基礎理論では売り物にならないから、うちにはありません」と答えたのを憶えています。
その後、某シンクタンクで出したメニューブックを見ると、基礎理論はなく、もっぱら実用データ、事例集ばかりでした。
担当部長が代わったか、本人の気が変わったのでしょう。担当部長さんは日経新聞大好きの人でしたから、知的な経済理論を発信したかったのかもしれません。多分週刊「東洋経済」も購読していたでしょう。
世の中、いろんな勘違いを経て落ち着くところに落ち着くようであります。そういえば、その後日経新聞もFAXサービスに参入したようでした。
■ネット情報の価格の限界
さて、正直言いますとあんまりネットのことは詳しくないので、こういうことを書くのは甚だ僭越、かつ誤情報を振り撒くことになりかねないのですが、ここまで書いちゃったので蛮勇を奮って続けます。
FAX情報はその後会員IDでログインするネット検索が主流になりました。それはネット人口が増えたことと技術的なインフラが整ったということであって、ビジネスモデル自体に変わったところはありません。
このサービス、今どんな状況なのでしょう。景気よく売上を伸ばしているという話は、あまり聞きません。
だって、経営情報であろうが生活情報であろうが、よほどコアなものでない限りネット検索すれば無料で採れるわけですから、有料サイトに申し込む人が増えるとは思えませんのですよ、私は。
有料情報といっても、こと「経営情報」に関していえば2次情報です。2次情報というのは、公開された情報、つまり単行本、雑誌、新聞記事になったものです。ちなみに1次情報とは非公開情報、つまり現地現場にいる人だけが知っている情報のことです。
要するに公開情報を検索するなら、いまや「グーグル」のほうが、ず〜〜〜〜〜〜〜っと範囲も量も大きいのですから、一社でかき集めた2次情報に値段をつけて売るという商いでは、ちと太刀打ちできまいと思う次第です。
例えて言うなら、地上波放送のコンテンツの再放送をCATVでやるようなものでしょうか。
もっとも全家庭に水道が設置されているにも拘らず「おいしい水」が売れたりしますから、品質によっては十分需要はあるのでしょうが、何らかの付加価値がなければいけません。
ネット上で情報に値段をつけて商売するというのは、いま過渡的段階なのだろうと思います。
■本というブランド
同じ情報が納められていたとしても、ネットは無料の世界、本は有料の世界で世間が納得してしまうのはなぜなのでしょう。
はっきりいって、ビジネス系についてなら、ネット検索で単行本一冊の情報を採ることは不可能ではありません。基礎的なテーマであれば情報に遜色はないです。
ま、検索の手間がかかる分、単行本を読むよりも時間はかかりますけど。
しかし、かたや無料でかたや有料。それはなぜ。手間がかかる分それがほぼ1500円相当なのでしょうか。単行本一冊の情報となると一時間では集まりませんから、時給換算すればそういう経済計算は成り立ちますね。
本は順序だった説明がされている。確かにネットから拾い集めたものは未整理で、編集は自分の頭の中でしなければなりません。これも一苦労です。
ネットはキーワードを知らないと検索できない。本はパラパラとめくればキーワードが出てきますからねえ。私はそうした利便性とは別に、本にはネットと異なる価値があると考えています。それは実体的な価値ではなくブランド的価値です。
人間の社会は、ある種の共同幻想に支えられています。安倍首相が好きな「レジーム」もいわば共同幻想です。共同幻想には背景と歴史が必要ですが、本にも漢籍から数えれば二千年以上、一般的に手に取られるようになってからでも500年以上という歴史と背景があります。
本というのは、それだけで一種のブランドを持っています。それは信頼、斬新さ、ユニークさ、面白さというような要素を含んだ情報性です。情報の中には、本になったがために誤って伝えられたものも少なくありません。
特に小説で描かれる歴史上の人物像など、恐らく当人が一番びっくりしているでしょう。小説とはいえ、「勝手に人の性格を変えるな」と描かれた本人は思うことでしょう。人物評伝にさえこうした誤謬例は豊富にあります。
それでも500年以上、いろいろ誤りはあったものの、全体としては「正しかるべく」やってきた結果が「本というブランド」を構築しているわけです。
それゆえ「ネット検索に55円払うのはもったいないけど、本なら1500円でも仕方ないか」という気になってしまうのは、やはり「活字のマジック」なんじゃないでしょうか。それともそう思うのは私だけでしょうか。
■まとめ
一つのレジームが永遠ではないように、「本というブランド」がこの先社会的認知をずっと得続けられるかどうかは不明です。
やがて本というブランドの価値観が揺らぐとき、未来の貫一が新たな価値観との間に真理を求め再び苦悶するのでしょうか。
では、また来週。
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