おはようございます。
ミサイルやら核実験やら物騒な話題でスタートした今年の秋もすでに晩秋、北国では早くも冬の訪れを迎える時期となりました。
そういえば今年も後一ヶ月足らず。
数えてみればこのメルマガも100号まで後7号。
100号まではがんばるぞ!と思っていましたが、100号を超えたらどうしようかと、秋の枯葉のように行く先定めぬ風まかせに迷う本多泰輔です。
また長いイントロです。
一度、イントロだけで全体の3分の2を使ってみたいと思いますが、ご迷惑でしょうか。いろいろ実験してみるのは楽しいものです。
さて、売れる本というのは、すなわち読者に歓迎されている本ですが、売れない本というのは著者は喜んでいても、この長いイントロのように世間は迷惑・・・、ではないにしろ歓迎されているとはいいがたいわけです。
何がその差を分けるのでしょう。
売れるかどうかはわからないが、売れない本なら手に取るようにわかる不肖本多が、売れない本のメカニズムを解明いたします。とはいうものの、売れる本がそうであるように、売れない本にも時々刻々変化する社会の情勢が背景にあり、いつも同じというわけではありません。
あるとき売れた本も時代を経ると売れなくなる。かと思うと時代を超えても売れるテーマもある。ようするにいろいろあるということです。時代が変わっても人は同じものを求めているということもありますね。
知らない人もいるでしょうが、実は私、角川書店の『ケロロ軍曹』(吉崎観音)の密かなファンでありまして、単行本の1巻も持っております。仕事の時間に自由が利くことをいいことに、テレ東の放送もときどき見ております。知らない方はその辺の児童に聞いてください。
このマンガは40年前に一世を風靡した『オバケのQ太郎』と同じテイストがあります。オバQなき現代にあってはそのポジションを埋めています。
『ドラえもん』とオバQとでは微妙にたち位置が違うのですね。オバQは保護者ではありません。ましてケロロ軍曹は侵略者です。
ちなみにオバQは藤子不二雄の作品ですが、当時漫画家仲間がアニメーションスタジオをつくろうと企て、その資金集めのために生まれたのが『オバケのQ太郎』。
作品づくりには当時赤塚不二夫など複数の漫画家が参加した、いわばコラボレーションのプロジェクトであったと小学館の人から聞いたことがあります。
ではいい加減本題に入ります。
■遅れてきたパクリ
売れない本の理由はさまざまなれど、不肖本多が「これは絶対売れない!」と太鼓判を押す企画の傾向についてご紹介いたします。
売れない本の4つのパターン(本当はもっとたくさんありますが、傷つく人がいるのと、ここで書ききれないため4つに絞りました)。
1.遅れてきたパクリ
2.気合の入ってない表紙
3.落ち目のテーマ
4.つくりが地味
ベストセラーになっているテーマには、続々と類似本が出版されます。『食品の裏側』という本がベストセラーになると、「食べてはいけない」(『買ってはいけない』のパクリでもあるわけです)的な本が次々と出ます。
昔、『磯野家の謎』といういわゆる「とんでも本」のブームがありました。この時いろんな出版社からパクリ企画が出ましたが、結局一番本を売ったのは最初に『磯野家の謎』を出版した日本文芸社ではなく後から類似本を出した飛鳥新社でした。
明日香新社は何冊も出しましたからね。累積の勝利です。
今年の春は株の本がブームで、特別驚異的に売れた本はなかったですが、各社の出版物を累計すれば、やはりひとつのブームだったといえるでしょう。こうしたブームに便乗するにしてもタイミングはあります。
どんなにベストセラーになった企画であっても、半年も経ってから類似の本を出したのでは見向きもされません。なまじベストセラー企画なだけに、誰の目にも「パクリ」とわかりますから、業界の冷たい視線を浴びるばかりです。
普通半年も遅れてから、ベストセラーのパクリを出すことはないのですが、どういう事情なのかたまに見かけます。大体、ベストセラーのパクリが便乗できるのは、ベストセラー本体から3ヶ月がぎりぎりでしょう。
それ以後は賞味期限切れで、ブックオフでも迷惑扱いされます。ベストセラー企画のような、ある意味「キワモノ」はタイミングが命なのです。
「あのベストセラーとはここが違う!より斬新でわかりやすい」といってみたところで、引かれ者の小唄、祭り後のさびしさが漂うばかりで、誰も振り向いてはくれません。
■気合の入ってない表紙
表紙の気合は企画とは関係ないようですが、だいたい気合の入ってない企画というのは、表紙にもパワーがありません。少なくとも読み手からはそう見えます。
「まさか本気で売れると思ってつくったわけじゃないだろ。なんか事情があるんだろ」と勘ぐってしまうような本がほとんどです。
ですが、何か「大人の事情」でつくったんだろうな、と思っていた本が、その会社の編集長の渾身の企画であったというものもありました。
一種のペーソスを感じてしまいましたが、中身がよくても表紙が腑抜けたものに売れる本はありません。
デザインの良し悪しではないんです。力がこもってないのがいかんのです。イラストに力がない、写真に力がない、色使いに力がない。なんというか生命力がないんでしょうかね。
力んでいても力が出ていないというのがありますね。いずれにせよ、結果としてパワーを感じない表紙の本はまず売れません。現物を晒して説明できればいいんですが、それはちょっと難しいので悪しからず。
■落ち目のテーマ
過去に有名だったタレントさんが本を書いても、旬を過ぎてしまえばやはり売れません。過去に有名だったタレントさんが、旬なテーマを書いていれば売れますけど。
前者の例は、山のようにありますので特に出しません。傷つけるのは基本的に好きじゃないんです。本当は。
江本猛紀氏が『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(これまた日本文芸社)を出した時彼は「旬な人」でした。
その後青春出版社から出た『プロ野球を100倍楽しく見る方法』を書いた坂東英二氏は当時「過去の人」でしたが、テーマが旬だったので彼はここから再飛躍しました。
これは後者の例です。企業本でもそうです。いまさら「ライブドア」の研究書を出すところもないでしょうが、一時ブームになったものほど鮮やかに潮が引きます。
古書業界でベストセラーは誰にも相手にされない、二束三文で扱われるのと似ています。落ちたヒーローに対する世間の態度は、まことに冷ややかなものがあります。
落ちた企業を集めて「なぜ落ちたのか」を研究したい衝動にはよくかられますが、研究内容のレベルは高くても市場に受け入れられることはほぼありません。
だから同じような間違いが絶えないのでしょう。
■つくりが地味
これも「時代とともにあり」です。いまどきの本であるにもかかわらず、30年前と同じ組みで本をつくっていたら、編集の歴史などまったく知らない人でも古臭い印象を持ってしまいます。
本のつくりは表紙を含んだ全体のことですが、表紙が地味でも売れないことはないですが、本文や目次まで地味なつくりでは、だいたい読んで欲しい、買って欲しいという気持ちが伝わってこないですね。
つくりが地味というのは、わざとそういう好みでやっているとしたらセンスに問題がありますし、編集の手抜きで適当に本文を流し込んでいるだけなら、出版姿勢に問題があります。
読者は賢いですからそういう点は鋭く見抜いてしまいます。
■まとめ
そういうわけで、売れない本の責任の大半は編集側にあるのですが、かといって著者が表紙のデザインにあれこれ難癖をつけるのも考えものです。
まあ一言「生命力が感じられないんです」とだけ告げましょう。わからんやつにはわからんですが、わからなければ聞いてきますので、そのときあれこれ言えばいいです。
あとは取り扱うテーマの新鮮度とタイミングですね。格別有名人だから有利ってわけじゃないのですから、センスさえよければベストセラーも夢ではありません。
では、また来週。
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