おはようございます。
本多泰輔です。
近所の「不二家レストラン」、事件直後は閑散としていたのですが、最近覗いたところでは案外お客が入っていて、中には家族連れでお誕生日祝いも行われているという「通常ぶり」。
ま、それでも普段よりは来客数が少ないようで、大音量でアピールするお客さんの誕生日祝いに差し迫ったものも感じます。信用を築くのは長い時間がかかりますが、壊れるのは一瞬です。
企業の新卒求人数は、毎年増え続け、バブル(これもいい加減過去のことばにしないといけませんね)経済のときの採用を超えているともいわれます。
企業の採用圧力は、依然高くこうした傾向が来年以降もしばらく続くと見られています。ここ数年の学生は運のよい人たちです。
いま、企業の採用活動のアドバイザーは、かつて採用を担当した人事部OBではダメなのだそうですね。
年齢の差は、学生との間に埋めがたい感覚の差をつくり、この異文化ともいえる感覚の差が致命的なのだそうです。
つまり、新卒者の採用は「過去の経験」が生かせない現場であると。私は採用担当の経験がないので、よくわかりませんが、多分そういうものなのでしょう。
若年人口の少ない時代、計画通りの採用のために大手各社、苦労しているようですが、その一方、中高年のリストラも進めている企業もあります。
同じ会社が大量の採用と大量のリストラを同時に行っているわけです。
いまは三顧の礼で迎えられている新卒者も、こうした組織内の影の部分に接すれば、20年後の自分に不安を覚えることになるのではないかと思います。
『なぜ若者は3年で辞めるのか』、それは「明日はわが身」ということに気づくからではないでしょうか。
■戸惑う幹部
『上司が鬼にならねば部下は育たぬ』という本が6〜7年前にベストセラーになりました。昭和40年代の『こんな幹部は辞表を書け』以来続いた、一連の幹部教育本の、いまのところ最後のベストセラーです。
軽々しく最後と書くのはどうかと顰蹙を買いそうですが、個人的には今後こうした厳しく鍛える根性論的な幹部ものが、市場で一定の評価を得ることはもうないと思っています。
若い部下の感覚が変ったから、根性論が通用しなくなったというわけではありません。根性論は若者の会社だったライブドアにもありましたし、競争社会である以上、企業の中で精神的な強さは今後も求められるでしょう。
『こんな幹部・・・』以来の幹部本は、組織の合理性と永続性を背景にしていました。いわば忠誠心の涵養がテーマだったわけです。
組織を背負って盛り立てていけば、やがて利益は個人に還って来る。組織は忠誠心を裏切らない。幹部が頑張る根拠はここにありました。
ところが、21世紀直前から組織のほうが突然変ってしまいました。舞台の上で大きく見得を切っていたら、背景の書割が勝手に変わり、別のお話になってしまったようなものです。
組織はそれ自体が生き残るためリストラに踏み切る。こうしたことは過去にも何度もあったことで、いわば書割が倒れた、落ちたという状況で、致命的ではあっても話の筋が変るわけではない。
多くの企業でリストラとともに取り入れられた成果主義型の賃金・人事制度や複線型人事、組織のスリム化などいわゆる新人事制度は、舞台を忠誠心という書割から自己責任という新しい背景に変えてしまいました。
幹部は、どう演じていいかわからずただ呆然と舞台の中央で佇むほかありません。幹部が舞台の上で迷っているとき、ビジネス書はどうしていたか。
忠誠心という書割なしに部下に対してどう振舞えばよいのか。
そもそもこれから幹部自身にどういう働き方が求められているのか。
ビジネス書が、こうした課題に応えるために何らかのアプローチをしたかというと、私には記憶がありません。
何年か後に一般書系の版元から出版されたものはありました。ちくま新書、光文社新書、中公新書などからですね。いわゆる既存のビジネス書版元から出版されたものは思いつきません。
出版はしたものの売れなかったのか。
今に至るもそれらしい本は、ビジネス書にはありません。
多くの新入社員を採用した企業は、この先どうやって求心力を高めていくのだろうか。
■ビジネス書の役割
ビジネス書というのは、昭和50年代以降に一般化した区分だと思いますが、そのスタートは昭和30年代、そして高度成長の昭和40年代に百花繚乱の状態になります。
昭和30〜40年代は、米国生まれのマネジメント論を盛んに学習していた時代、乾いた土が水を吸うように日本の産業全体がノウハウや理論を求めていたといえます。そしてこの時代は、学習の量と業績結果は結びつきました。
昭和40〜50年代は、48年のオイルショックという大きな経済的打撃を蒙り、以後経済環境は変りましたが、過去10年米国直輸入のマネジメント論を日本国内で実践してきた人々が書いた手法・ノウハウがビジネス書の主流となりました。
いわば今日見られるビジネス書の原型がこの時代に形づくられたといえます。根は米国ですが、枝葉は日本製です。
こうして平成に至るまでは、多少の浮沈はあるものの、ビジネス書およびマネジメント論の背景には常に日本企業の成功体験がありました。
それに対してバブル崩壊後の失われた10年間に導入したBPRや成果主義、コーポレート制は、日本企業の高揚感に結びつかない悲しい記憶とともにあります。
いくらプロジェクトXが遠い過去の成功体験を持て囃してみても、この悲しみを埋めることはできません。
いま、ビジネス書が売れないのは、こうした読者の置かれている状況認識に欠けていることに理由の一つがあると思います。
つまり、深刻に現状に取り組んでいる読者にしてみれば、大昔の処方箋も悲しい記憶とともにあるシステムもすでに見限っている。そして明日への提案は、成功体験が担保されていない。
こういうときビジネス書は何をすればいいのでしょうか。
■傷ついた人事
組織の一員であるサラリーマンに最も影響を与えるのは、いうまでもなく人事です。この強い影響力を放つ人事制度が、一時求心力を放棄する思想に傾いたのは、組織と社員に大きな傷を残したと思います。
いま、また組織は新たな求心力の軸を模索しています。「楽しい」とか「やりがい」とかいうことばもそうした動きを反映したものですが、社員に受け入れられなければ意味がありません。
大量リストラと制度改革で傷ついた組織と人心は、ことば一つ変えたくらいで信頼を取り戻すことは難しいのです。
信用を壊すのは一瞬ですが、再構築には時間と労力がかかる。
冒頭に申し上げたとおりです。
そして、いまさら昔の「忠誠心」を持ってくることもできません。
もう制度は改められてしまっているわけですから。
新しい制度に応じた新しい求心力が必要なのです。このあたりの要請に応えるのは、ビジネス書本来の使命なのだろうと思います。
■まとめ
以上、人事関係の専門家から見れば異論、誤りがあろうかと思います。間違っておりましたらご指摘ください。
少しテーマ違いの部分に言及しすぎたきらいもあり、いつもと調子が違いますが、世の中に必要な本というのも稀にはあるわけで、ビジネス書の役割を考えると売れる売れないにかかわらず、社会に必要な本を出す働きかけもしなくてはいけないなあと思っている次第です。
ただ、あまり思い込みが強すぎたり考えすぎると本は失敗するので、「こんなこともある、あんな手もある」くらいからやっていったほうがいいのでしょうね。
では、また来週。
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