おはようございます。
本多泰輔です。
「桃李不言下自成蹊」
「桃李もの言わずとも下自ずから蹊(こみち)を成す」
と読む中国のことわざです。意味は、
「桃の木は何も、もの言うわけではないが、その花の美しさ果実のおいしさ香りのよさ、葉の繁りがつくる木陰、それらによって自然に人が集まってきて道ができるようになる」
すなわち人間も優れた人格者であれば黙っていてもその人物を慕って多くの人が集まってくるという、今時の政治家が裸足で逃げ出すような人望を備えたリーダーの鏡のような人の比喩として使われます。
朝礼で使えるネタですね。
当代の総理大臣のご出身校は、確かこのことわざに源を発する名称の学校ですね。学校の創設者は正に「桃李」のような人望を備えた人物を輩出することを理想としたのでしょう。で、別に総理について何か書こうというわけではありません。
本来、「説得力」とか「話し方」とか「ファシリテーション」は、「巧言令色少仁」の類なわけで、黙っていても相手を圧倒するような器量を身につけたいところですが、悲しいかな人格に優れない以上口舌に頼るしかないわけです。
しかし、成蹊のようなことわざを生み出した中国古代にも、いわば口先だけで国家間の難題を乗り切る「縦横家」という専門技能職も数々いたわけです。
交渉といっても失敗すればその場で殺害され、運良く生きたまま追い返されても戻れば失敗の咎で主から命を奪われるという、戦国らしい生きるか死ぬかのスリリングなジネスでした。
人格や人望は、相手に見る目がなければ理解されないという弱点もあります。相手のレベルに合わせて話すというのは、人格・人望から見れば姑息な手段ですが誰にでも通じる応用範囲の広いテクニックです。
一方、文章は人格を表すとか、口舌が軽んじられるのと対照的に多くの場面で重用されます。昔は、ワードも一太郎もありませんから、文章はその構成とボキャブラリーおよび書き文字の姿形でも人を見られたようです。
明治期に入っても人材の登用試験は、もっぱら作文に頼っていたようですから。
■編集長の本音
2週続けてインタビューになりますが、本人の語りのままに表現したほうが気持ちが伝わると思いますので、以下インタビュー形式で記します。
<編集長A>
中年男、昔ならすでに初老、ひょっとしたら社長になれるかもしれないが、最近やや勢いに欠けるところあり。老眼も進んできたし、いつまでも現場じゃないなと思い始めている取締役編集長。
本多(以下ほ):どうも、久しぶりですね。今日は素朴な疑問からお聞きしたいと思います。まず、疑問その一
「編集長って偉いの?」
A:「自分で自分のことを偉いって言うやつは普通いないだろ。まあ、いいでしょう。一般論で言って雑誌の編集長はけっこう偉いが単行本の編集長はそれほどでもない。後は本多お前が説明しろ」
ほ:はい。雑誌の編集長は自分の意思で雑誌の企画すべてを決め られる。いわば雑誌における社長みたいなもの(広告は別)。単行本の実務は、各編集者の単独行動が多いので、編集長は全体の進行とか人事考課とか、一般企業の課長みたいなもの、
ということでいいですか。
A:「課長といわれると役員の俺としては面白くないが、まあ、そんなところか。雑誌の編集長は企画決定の権限があるが、単行本の企画は編集長決済ではできない。
大抵、社長以下営業部長も含めて幹部の総意で決めるのが普通だ。超大手でも企画会議に社長が出てくることはあるし、社長はいなくとも担当役員は必ず出席する。単行本の編集長は編集部という集団に責任を持つということだわな」
ほ:企画を通す力はないんですか。
A:「どんな企画でも通せる人っていったら社長しかいないだろうな。でも、まあ、実績があったから何とか編集長に収まっているわけで、俺が首を賭けて主張すれば多分その企画は通るだろう。失敗したときのことを考えるとそんなことする気にならないけど」
ほ:どうしても出したい本というのは今までありましたか。
A:「絶対売れると思って、実際に売れた本はあるが、じゃあそのとき首を賭けてまで主張する覚悟でいたかというと、そんなことはないな。絶対売れる企画というのはみんなが乗れる企画だから。反対する人はいないよ」
ほ:いや、売れないけど出したいと思った本は?
A:「売れない本なんか出したくないよ」
ほ:ごもっとも
A:「文化の一翼を担う出版社として、販売に関係なく歴史に残る名著を出版したいという気持ちもなくはないが、歴史に残る名著の多くは相応に販売実績も上げた本だよ。さっぱり売れなくて評価された本って、本多の好きな古書業界にはあるらしいけど、一部のコアな人たちの世界だろ。
知ってるように売れなかった本の返品在庫は凄いよ。ちょうどこれから年度末の返品のシーズンだけど、高さ3メートル以上の返品の山が何10と並んでいる光景は圧巻だよ。下からじゃわからないから、はしごかけて上から上から見下ろすの。そうすると倉庫一棟が、文字通り在庫の山で埋め尽くされてるのよ。
全部同じ本ってわけじゃないけど、制作側として暗澹たる気持ちになるね。俺たちのつくった本は、かくまで拒否されたのかと」
ほ:編集長が、というより編集が返品倉庫まで行くことは珍しいですね。会社以外は著者のところと飲み屋しか行かなかったAさんが。何かあったんですか。
A:「ばーか。俺だって編集部の責任者なんだから返品の実態を見ておかなきゃいけないんだよ。営業から突き上げもあるしな。しかし、数字の上で30何%とかいってるけど・・・」
ほ:30何%じゃすまないでしょう。
A:「ここで正直な数字が言えるか!アホ、そのくらい察しろ。まったくお前は昔から・・・。まあ、いい。返品率は報告を受けているから知っているわけだが、実際の物量で見るとやはり凄いな。あれは資源の無駄遣いだ。地球環境にもよくない」
ほ:廃棄本は、みんなダンボールになってるんでしょう。いま、中国経済の台頭でダンボールの値段が上がっているからダンボール業界には貢献してることになりますね。
A:「そうか。ちょっと救われる思いだな。ダンボール業界に貢献しないで出版界に貢献したいところではあるが」
ほ:ところでいま売れるテーマってなんですか。
A:「おお、よくぞ聞いてくれた!本当にお前は嫌味なやつだ。わが社はみんなそれがわからんから悩んでいるのだ。そういう質問は、光文社かサンマークかフォレストに聞いてくれ」
ほ:かつてヒットメーカーといわれたAさんをして・・・
A:「そうよ。俺は過去はあるが未来がないと自分で言ってんだ。結局、ビジネス書のテーマってのは広く見ればこの40年間大きく変わったものなんかないわけだよ。人の問題なんか、中国古典にさえ学べるほど昔から語りつくされてきたテーマだしな。
俺から見れば、いまさらどんな本が出てきても新しいものなんかないわけよ。しかし、ここが問題なんだな。新しくない本でも読者はいる。同じテーマでも読者のいない本もある。
ビジネス書の企画は切り口だから、切り口の角度が新しくて魅力的なら、魅力的はわかりやすそうと言い換えてもいい、読者は集まってくる。これはかつて俺の経験からいって間違いない。
どうも切り口の角度がずれちゃってるみたいなんだよ。わが社は。というか俺は。やっぱり歳のせいかな、と思ってんの」
ほ:そこまでわかってんなら打つ手があるじゃないですか。
A:「俺にやめろっていってんのか。まだ大学受験前の子がいるこの俺に」
ほ:いや、名伯楽になられてはいかがかと。
A:「それができないのが出版人なんだよ。最近は若いやつのほうがヒットを飛ばすし、本多の言うとおりなのかもしれないけど、若いやつに負けるかという気持ちのほうが強くてな。とにかく長年の勘が生きないのがいまの出版界だな」
ほ:では著者からの企画もどんどん受け入れると・・・
A:「おお、もちろん。いい企画なら大歓迎だよ。本多は条件のいいところにしか持って行かないらしいけど、世間は狭くしないほうがいいぞ」
ほ:条件なんかで選んでないですよ。最近どこも厳しいし。ま、それはともかく。最近『なぜ・・・』という妙なタイトルが多いですが。
A:「『社長のベンツはなぜ4ドアなのか』や『若者はなぜ3年で辞めるのか』がベストセラーになったからな。『中華とフレンチ、どちらがもうかるのか』というのもあったな。売れてる本のタイトルが妙だと目立つんだよ。
でも『なぜ・・・』とつけても売れない本のほうが山ほどある。売れない本は目立たないから気がつかないだけで『なぜ・・・』とか妙なタイトルをつければ売れるというわけではない」
ほ:いま御社で売れてる本は
A:「ビジネス書以外」
ほ:では最後に、いま一番欲しい企画は
A:「10万部以上売れる企画。3万部以上でもいい」
■まとめ
赤裸々というか、すこし投げやりな感じのA編集長でした。
今度は部下の編集部員の声も聞いてみたいと思います。そんなわけで多くの編集者が企画なくて困っておりますので、協力してあげてください。
欲しい企画は10万部以上売れる本だそうです。
ではまた来週。
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