おはようございます。
本多泰輔です。
米国ほどではないですが、本邦でも拳銃発砲事件が続いておりますね。昨年の六本木、今年に入って先月の長崎、先週の愛知県長久手町、米国と違うのは、その発生件数の少なさと犯人が「素人」ではないこと。
日本では素人が拳銃による殺傷事件を起こしたのは、94年に東京品川の京浜急行青物横丁駅で医師を背後から射殺した事件が最後だと思います。
ただ、そのときの拳銃の入手先は都内台東区の組事務所だったそうなので、組関係が、わが国銃器類の流通のほとんどを占めていることは疑いないでしょう。
どこの組事務所に行っていくらで買ったかなど、事務所近くで事業を営むかたから何年か前に伺いました。拳銃を売った組事務所も殺害された医師が勤める病院も近所であり、犯人がその病院に通院していた患者であること。
犯行現場以外は、非常に狭い範囲に事件関係者が集中していたそうです。ちなみにご近所のかたによれば被害にあった医師の評判はかなり良いものだったようです。
さて、先月で著者インタビューは終了しましたが、こちらから一方的に出版事情を語るばかりでは、やはり信頼性に欠くところがありますので、著者の肉声というか、それぞれが体験した出版の真相について詳らかにしていただきたいと思います。もちろんできる範囲でですが。
そこで出版「体験シリーズ」。実体験を率直に語っていただきます。第一回は以前著者インタビューにも登場した栗本唯さん。唯さんといっても男性です。インタビューでは語りつくせなかった点も含め書き下ろしていただきました。
栗本さんの出版実績は、2003年4月『もっと儲かりまっせ』、2004年3月『儲けはもっとふえる』(以上2冊あさ出版)、2005年1月『成約率を3倍に伸ばす新規開拓の極意』(同文館出版)、2006年10月『韓国株の基礎知識』(東洋経済新報社)、毎年に一冊ずつ合計4冊の著書を持っています。
■出版のきっかけ
(第一回ゲスト)
清陽グローバルマネジメント有限会社代表取締役 栗本唯氏
まず最初の本を出すまでのいきさつはこうです。
そのころある取引先からの依頼がきっかけに営業・マーケティングのコンサル業を大阪で細々とやっておりました。こういう仕事は新規開拓がなかなか難しい業種で、何か良い方法は無いものかと模索していたのですが、有名になったコンサルタントの方は皆さん、ご自分の著書があることに気が付きました。
「じゃあ自分も本を出してみよう!」と思ったのですが、無名のコンサルタントに出版社から出版依頼が来るわけもなく、時間だけが流れる日々が続いたのです。
やはり自分から営業を仕掛けなきゃと、自己流の企画書を作成し、ビジネス書を出している出版社に片っ端から郵送しました。
何度かそうやって企画書を送っていると、時折出版社から電話が掛かってきました。
そのほとんどが「今度、東京に来ることがあれば、一度弊社にお立ち寄り下さい」という電話です。
「ついに出版だ!」
と思い、特に用事があるわけでは無かったのですが、
「はい、たまたま来週に東京に行く用事がありまして・・」
とその場でアポを取り、勇んで新幹線に乗り込んだものです。
ところが、その出版社に行くと、「こんなの企画書の体を成していない」といった散々な評価ばかりで、何度もがっかりと肩を落として大阪に戻る新幹線に乗り込みました。
でも転んでもタダでは起きないのが大阪の商売人の心意気。
具体的にどんな企画書にすればよいのかなどをヒアリングして、企画内容も絞り込んでいきました。
そんなことを何回か繰り返している中で、たまたま訪問したあさ出版の佐藤社長に「これで1回出してみるか。いつまでに原稿仕上げられる?」と言われ、初の出版が決定したのです。
「2ヶ月で仕上げます!」と宣言したのですが、実際にはなかなか進まず、原稿を送ってからも何度も訂正が入りました。
そして2003年4月に初の著書となる「もっと儲かりまっせ」が世に出たのでした(パチパチパチ・・・拍手by泰輔)。
■アマゾンキャンペーンを仕掛け一気に増刷
本が出ることが決まっても大きな不安が一つありました。それは「私みたいな無名の著者の本なんて誰が買うんだ?」ということです。
書店のビジネス書のコーナーに行くと、本当に多くの種類の本が並んでいます。そのなかで自分の本を買ってくれる人なんているんだろうかと思うとこれまた難しいと思いました。
当時、オンライン書店のアマゾンが急速に勢いをつけてきており、私もいつの間にかビジネス書をアマゾンで購入することが多くなっていました。そこで売れないかと考えたのです。
たまたま私は自分でメールマガジンを発行していました。当時、5千名くらいの読者がいたと思います。でも5千名への告知だけでは不十分だと思いました。
そこで、他のビジネス系メールマガジンの著者に連絡をして、私の著書をメールマガジンで紹介してくれたらお礼に、私のメルマガであなたのメルマガや著書を紹介しますという売込みをしました。
今ではすっかり有名になったアマゾンキャンペーンですが、当時はこういうことをやる人はあまりいませんでした。
そのため一種のお祭りみたいな感じで多くの人が協力してくれて、色んなメールマガジンで一斉に告知されたのです。
アマゾンでのランクは一気に上がり、ついに2位になりました。ちょうど、村上春樹さんの新作(『キャッチャーインザライ』サリンジャー著、村上春樹訳だと思いますby泰輔)の発売日と重なって1位にはなれなったのですが、「アマゾンで売上2位になった男」として、ちょっと注目されるようになったのです。
嬉しかったのは楽天の三木谷社長がこの騒ぎのおかげなのか、私の本を読んでくださり、楽天の出店企業にお勧め図書として推薦してくれたことです。
随分後になってこのことを知ったのですが、キャンペーンをしなかった楽天ブックスでも6位くらいになっていたのはそういう理由だったのかもしれません。
■その後、仕事が一気に増えるも
このことがあってから、仕事が一気に舞い込むようになりました。
セミナーや講演を企画すると、全国から人が集まってくれるようになり、コンサルの依頼も次々と入るようになりました。私のコンサル事業は出版から一気に軌道に乗ったのです(オオ〜・・・歓声by泰輔)。
しかし、この世界は栄枯盛衰の激しい世界です。アマゾンキャンペーンもその後に本を出す人がみんなやるようになり、あまりありがた味も無くなって来ました。
2冊目、3冊目と本を出しましたが、その効果はだんだん低下していきました。既存のお客さんが支えてくれたので、何とかなったのですが、新規開拓が難しくなってきました。
特に情報起業というビジネスがこのころから流行りだし、競争も激しくなったのです。ビジネス書の出版も消耗戦になってきたかなという感じを受けております。
私のほうは、その後大病を患い、いったん事業をリセットしました。現在は、出版を通じて知り合った会社と提携して全く別の事業を展開しています。執筆の世界とは少し離れた世界にいますが、今の仕事でもいくつか面白いテーマが見つかりましたので、そのうち出版界にカムバックしたいと思っています。
■まとめ
再び本多です。
どうやら「本を出せば後は読者から次々と仕事が舞い込んでくる」というのは、半分本当で半分嘘みたいですね。
売れっ子コンサルタントは本を出しているが、本を出しているコンサルタントが売れっ子というわけではない。出版もまた万能のマーケティングツールではないようです。
4冊の著書があっても必ずしも本業に直接貢献しないという栗本さんのお話は、なかなか厳しい現実の一面です。
本が売れれば万事OKですが売れるかどうかは永遠の謎。たとえ売れなくても後に続く何らかのプラス効果が発揮される仕掛けが必要ですよね。
売れるまで本を出し続けるという方法もあります。どこかで一冊ヒットが出れば過去の本まで遡って売れたりしますから、これも一つの選択肢です。
そんなわけで栗本さんには今後も次々と本を出していただきたいと思います。
ではまた来週。
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