おはようございます。
本多泰輔です。
慙愧に耐えないという詞が再注目されていますね。先々週、首相が農水大臣の訃報に接して述べたコメントでこの詞が使われました。
遺憾に思う、不徳の致すところ、などと並んで政治家がよくつかうことばですから、そのまま聞き逃してしまいそうですが、今回の場合「慙愧に耐えぬ」とコメントすると、(悪意を持って編集したのでなければ)農水大臣の死の責任は総理にあって、そのことを深く後悔する、という具合になってしまいます。
仮に真相はそうだったとしても、そのようなことを本人がコメントするはずがないので、多分「残念でならぬ」というつもりで誤用したのだろうというのが大方の斟酌です。
実は、私も「残念でならぬ」を強調するつもりで、「慙愧に耐えぬ」を使ってしまったことがあります。
遺憾に思う、不徳のいたすところ、慙愧に耐えない、いずれも素直に「私が悪うございました。ごめんなさい」と言えないときに使う言葉で、だれが悪いんだか何となくはっきりしない語感があります。私もそういう意図で昔よく使っていました。
そうやって自分の責任をはっきりさせない方便として「慙愧に耐えぬ」を使い続けていたため、「残念です」の強調のごとくに詞の意味を歪めて捉えるようになってしまったのかもしれませんね。あくまで私の場合は、ですけど。
さて、今週のメルマガですが、だいたい合っていると思うのですけれども、細部では自信がありません。
神は細部に宿るので、まずいかもしれませんが、ま、問題があったらご指摘いただいて次週訂正ということで・・・。皆様には疑いの目で本文を眺めていただければ思います。
■著作権の譲渡ということ
大槻ケンジというミュージシャンが、自分の著書に自分が作った歌詞を載せたらJASRACから著作権使用料を払えという請求が来た、という嘘か真かわからないような話がネット上にあります。
最初、JASRACは音楽著作権に過敏な反応をするから、まあそれを揶揄するためのホラ話だろうと思いましたが、念のため公開されているJASRACの契約書のPDFを見てみると、これが案外デマカセではないかもしれない。
実際JASRACから作詞者に著作権使用料の請求が行ったかどうかの真偽は、本人に確かめるしかありませんが、ポイントは著作権の譲渡、委任(JASRACの場合は信託)です。
書籍のような出版物でも著作権の譲渡は、ごく一般的に出版契約書に記されている項目です。
「印税の契約だから譲渡はしていないだろ」
そう思っていませんか。
譲渡といっても別に原稿を売り払ってしまうわけではなく、印税契約の出版であっても、著作財産権の一部または全部の運用管理を出版社に委任する形式の文言が記されています。
著作権の一部を期間限定で譲渡、つまり預けるわけですね。預けるといっても期間の定めがあり、普通3年、長くて5年くらい、出版契約書の有効期間と同一です。
この間は映画化や漫画化、キャラクター使用(書籍ではまずありませんが)など、著作物の二次使用については出版社(出版権者)の差配するところとなります。
二次利用に伴う使用料については、著者と出版社の取り決めによります。全部著者にあげちゃう太っ腹な出版社もあれば、ほとんどをかっさらっていく強欲な出版社もあります。
書籍の出版社は大体太っ腹なはずです。
つまり出版契約に、本書の二次使用等については出版社が全部仕切ると書いてあれば(たいてい書いてあります)、それは出版契約でもあり著作権管理の委任契約書なわけです(ちょっとこの辺自信がありませんが、多分そうです)。
著作権の委任契約を結んでいると、契約期間中、著者は自分の書いた原稿であっても勝手に第三者に渡すことはできません。
映画化したい、あるいはテレビドラマ化したいと言われても(直接著者に言ってくることは普通ありませんが)、許諾権や原作使用料についての交渉権は出版社に帰属します。
したがって自分の書いた歌詞であっても、信託委託者の許可なく他の媒体に勝手に掲載する(例えば自分で作った歌詞を本に載せて出版する)ことはできない、ということはない話ではありません(同様の理由で、川内康範が森進一に「自分が作詞した歌は唄わせない」と言うのは無理筋なわけです)。
■著者の立場
こう書くと出版契約書は著者に著しく不利ではないか、と思うかもしれませんが、実際にはよほど利害が衝突しない限り著者の権利をないがしろにすることは、いかなる出版社もいたしません(多分JASRACもしないだろうと思います)。
出版界では、著者から二次使用の申し入れがあれば即OKを出すのが普通で、著者がうっかり忘れて申告が遅れたとしても、著作権料を払えとか、突然請求書が来るということは、音楽業界でも常識的にありえないように思いますけどね。
ただし重大な利害の衝突があれば話は別です。
その媒体が発行されることで、元の著作物が売れなくなる恐れがあれば、出版社としてもすんなりOKとはいかないでしょう。
二次使用ではありませんが、出版権を巡って著者と出版社で揉めるケースは、A出版社の本でつかった図表をB出版社から出す本にも使う、というような場合。
一つや二つなら黙認されますが、かなりの分量が重複するというような場合は後で揉めます。
また、A出版社から本を出した直後、ほぼ同じようなテーマの本をB出版社から出すというのも問題です。
出版権はその本の発行を独占する契約ですから、他社から同じものを出すことはできません。
A社の単行本がB社の文庫になるケースは多いですが、先行の出版権が生きているうちに文庫化する会社はありませんので、内心は別として揉めるケースはほぼありません。
さて、出版権を侵害しそうなときはどうすればよいか。そういうときは、まず、「これはA社でつかった図表だ」あるいは「このテーマはA社から来月出る本と同じだ」とB出版社の編集に相談することです。
間違えてA社に相談するとかなりこじれます。B社の編集に問題ないかどうかを判断してもらった上で、それ相応の覚悟を決めてA社に話すというのが順番です。
一般に、初めて本を出した著者がすぐ別の出版社から本を出すことを喜ぶ版元はおりません。
担当編集者はお愛想ぐらい言うでしょうが、心底喜んでいるわけではありません。本当に喜んでいるとしたら、それはもうすぐ転職する編集者です。
ただし、専属契約しているわけではなし、著者がどこへ行こうと仕方ないので、強引な引き留めをするわけではありません。
著書の売れ行きが今ひとつであれば、「よい本ができるといいですね」などと割とあっさり了解されます。
もし売れ行き良好であれば少し揉めますね。出版契約を盾にB社の出版を思いとどまるよう働きかけてくるかもしれません。
それでも著作権法(出版権も含まれます)に抵触することがなければ、どこから出そうと著者の勝手なので、最後はしぶしぶ認めることになるでしょう。
もちろんA社からすれば「わがままな著者」に映りますので、以後のお付き合いに影響することは必至です。
覚悟とは、A社とのお付き合いはこれ限りとなっても止むなしという決断です。もちろんA社と切れたからといって、B社が厚遇してくれることはありません。
そもそも出版権侵害か否かを法廷で争うような事態になってまでやるべきことではありませんので、あくまで合法な範囲内での決断でなければなりません。
■出版契約
いちいち出版社に権利を制限されるのは業腹だと思うなら、出版契約の段階で譲渡または委託項目を特定するか外せばいいことです。
出版社にとって、出版契約で肝心なことは著作物の出版権を確立することですので、著作権の譲渡や委託の部分は交渉可能です。
だいたい出版契約書は、著者はハンコだけ押せばいいようにつくってありますし、印税率以外で契約内容に注文をつける著者はほとんどいませんが、契約である以上細部まで確認すべきものです。
契約書を細かくチェックしても「珍しい人だなあ」とは思われても、「嫌な人だなあ」とは思われません。
出版社にとっては、本をつくる以外に、その本の販売促進のためにも著作権の使用が必要になります。
販促のためには、広告や書評、あるいは書店用のポップ、チラシなどに本の内容の一部を紹介したりします。こうした販促行為のためにいちいち著者に許諾をとっていては出版社は営業できません。
つまり著書の営業に支障のないように、あらかじめ販促用に著作権の使用を認めてもらう必要があります。
中には、著者にとっては面白くない露出の仕方をすることもあるかもしれませんが、本の販売を妨げるような契約は出版社が受け入れることはありませんので、ここは折れるしかありません。
劇化や翻訳などの二次使用は、ビジネス書ではめったに生じることではないので、著者が「この部分は、自分の関係で話があるのでこちらで取り仕切りたい」と申し入れれば、さほど揉めもせず受け入れられることでしょう。
とはいえ、あまりあり得ないようなことでやり取りするのも面倒な話ではあります。
いくら権利を譲渡または委託していても、著者の許諾なしに勝手に二次使用させないことを確認しておけば、管理の手間を出版社がやってくれると割り切ったほうがよいかもしれません。
ではまた来週。
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