おはようございます。
本多泰輔です。
組織が上位に行くほどボンクラになるのは、ある意味普遍的なのですが、このところ目に余るものがあります。
やや旧聞ですが、防衛省事務次官の人事の紛糾も、上位組織である内閣の不手際でしょう。
役人が内内定人事を不服に思い、巻き返しに出るというのは、別に珍しいことではありません。よくやることです。
それも直属の任命権者ではなく、少し横にいるほうへ駆け込むというのは常道ですし、ルール・慣行に違うことを理由にするのも極めて一般的なやりかたです。
その点、防衛省といえども役人ですから、極めて役人らしい行動だったと思います。ただ、それが表に出るのは、異常事態ですが、そこが捨て身業だったのでしょう。
もう一つ役人の世界では、内定前の人事が事前に表に出れば、その人事は流れるという掟があります。
そうすると、だれがリークしたのかは見えてきますね。人事を潰したい人たちのリークです。単数ではありません。複数です。
いわば組織の意思といってもいいですね。
役人にとって人事は職業人生のメインイベントですから、相打ち覚悟で仕掛けてきます。まして次官です。
影響力を残したいと思う人間には、次の次官、次の次の次官、人によってはその次の次官までレールを敷きたがります。
そうした組織的な意向を引っくり返そうってんですから、抵抗は大きい。人事を無邪気に人の配置だけと思ってる大臣では、甚だ危機管理能力が足りないといえます。
それが防衛大臣だったというのは、実に切ない笑い話です。
■出口なき出版不況
先々週の月曜日、テレビ東京系の「ワールド・ビジネス・サテライト」で、出版不況下にのたうつ出版業界の特集をやっていました。
最初にダイヤモンド社の「出版甲子園」なんていう、自社の企画の行き詰まりを窺わせるような哀しい話でしたので、つまらないから、しばらく「ニュースZERO」を見てしまいました。
こっちもあんまり面白くないのでチャンネルを戻すと、なぜか幻冬舎ルネッサンスのインタビューが。話は自費出版業界に移ってました。
本を売るだけじゃ埒が明かないので、著者からもお金をもらおうと、自費出版に走る出版業界という構図でしょうか。
取り上げられたのは、幻冬舎ルネッサンスと英治出版。
どちらも従来とは異なる業態の自費出版活動をやっているそうです。そしてどちらも私は知りませんでした。時代は移っています。
自費出版というと、何かとクレームがらみの話題が多い業界ですから、「また雑な取材で自費出版なんか取り上げて」と思って見ていたのですが、今回はちょっと新発見がありました。
英治出版は、かの山田真哉のデビュー作『女子大生会計士の事件簿』シリーズの版元、そのほか『マッキンゼー式世界最強の仕事術』が、一時売れていました。
幻冬舎ルネッサンスは、あの幻冬舎のグループ会社ですから、ビジネス書というより文芸書ですね。
新刊では『泣くな小太郎』という時代小説が注目されています。縄田一男の書評では、「憲法9条の思想に貫かれた時代小説」だそうです。
主人公は「生涯、刀の鯉口は切らぬ」と封印するわけですね。持ってても使わない武器です(それならどうして持ってるの)。
笹沢佐保の股旅シリーズで『抜かずの丈八』というのがありましたが、立場と事情は違えど共に刀は飾りという一風変わった時代小説です。
■自費出版で著者探し
どちらの会社も書店営業部門を持っていません。
理由は、幻冬舎ルネッサンスは、本を幻冬舎に卸し幻冬舎帳合で流すからだと思います。
英治出版は、よくわかりませんが、書店営業部門をつくるとそれだけコストアップし収益を圧迫するからであろうと想像しています。
幻冬舎ルネッサンスのように、自費出版専門の別会社をつくり、発売は本体が行うというのは、出版界ではさほど珍しい形態ではありません。
幻冬舎ルネッサンスのケースは、いわば著者探しのコストを自費出版の売上でカバーしようという構図ですね。
幻冬舎ルネッサンスのHPに書いてありますけど、幻冬舎本体では、持ち込み原稿を断っている、それは処理する手間が大変だからだとあります。
これはその通りですね。社名が知られていれば、持ち込みも多いですから、原則持ち込みお断りにしないと仕事になりません。
しかし、自分のところで断った原稿が、他社から出版されヒットするのを見ると何とかしたい。でも原稿チェックにもコストがかかる。
「そうだ。原稿チェックの費用をもらっちゃえばいいじゃん。でも原稿見るだけで金払えとは言えねえなあ、本多じゃないんだから。そんなら自費出版でつくって、売れそうなものだけ自分のところから売るか」
ってな具合に思いついたのかどうかは知りませんが、HPを見る限りそういうことです。
膨大な量の原稿を読むには、結局原稿チェックの人員を増やすしかありません。
その人件費コストを自費出版の利益で賄うことができれば、コスト負担なく珠玉の一作を発見することができる。
自費出版、それだけで稼ぐというより、著者探しの補助的機能をビルトインした、というように見えます。
であれば、その辺はやはり著者からお金をいただいて儲ける構造の従来型の自費出版とは、スタンスが違います。
何が違うかというと、市場で売れる本を探しているということですから、売れるものであれば、自費出版でも本当にチャンスがあるということになります。
そういうと従来型の自費出版は、チャンスがないみたいですが、まあ、あんまりないですね。流通量が絶対的に不足ですから。
■自費出版の活用
不幸にして、陽の目を見ずにいるが、著作には絶対自信があるという人なら、こうした自費出版で勝負するという選択肢もあるように思います(別に幻冬舎ルネッサンスだけじゃないので、他社でもいいのですが)。
もちろん単なる自費出版(ちょっと高いらしいです)に終わるケースもあります(そっちのほうが多いでしょう)。
さらに言えば、売れる本なら自費出版でも制作過程で、相手が初版の流通部数を上乗せしてくるでしょう。
くどいですけど、その場合、評価できるのは5千部以上ですよ。8千とか1万という話が出れば、かなり相手は本気です。
初版500部を1,000部にしましょうなど、何の役にも立たない部数アップなら、相手の邪な心を疑い断るべきです。
もう一方のニュータイプ自費出版を行っている英治出版。
ファンドを募って本をつくるという、ハリウッド映画みたいな制作費集めの方法です(邦画の場合は、ナントカ制作委員会)が、「ファンドによる出版」というのは、私には自費出版の言葉の置き換えのように見えます。
ファンドといっても、赤の他人の本に出資するという人は、まずいませんから、ファンドの出資者は著者、または著者にくっついてるスポンサーである場合が多いということです。
ここまでなら単なる自費出版、またはひも付き出版ですね。
ただし、自分でお金を出してつくった本なんだから、売れた分の報酬は印税ではなく配当で還元するそうです。
既存の自費出版会社より、いくらか良心的な気はします。でも、やっぱり自費出版ですね。いわば、より正直な自費出版です。
ファンドには、制作費に広告・POPなどの販促費、倉庫保管料・出庫料などの管理費を含んだ予算で組み立てるのだろうと思います。
営業はいないといいますから、必要な場合は恐らく営業代行を予算に組み入れるのでしょう。聞いたわけじゃないですけど。
あの『さお竹屋・・・』の山田真哉氏は、ファンド出版で『女子大生会計士の事件簿』を英治出版から出したそうです。
そして本が売れた時、その配当金を受け取らず次の作品の制作費や宣伝費に注ぎこんだそうです。
他社から出した本の広告にも配当金を使ったといいますから、さすが後に売れっ子になる人は根性が違いますね。
不運にして一般の出版社に見る目がなく、作品に自信があって、お金があって、本のマーケティングも自分でコントロールしたい、ということであれば、配当の利率次第ですが、こうしたファンド出版を選ぶのも一つの手段かもしれません。
一見元が取れそうな気がします。しかし、これも売れなきゃ元も子もありません。売れる本なら一般の出版社がほっときませんよ。
とにかく出版することが大事、というかたなら、凡そ売れる見込みのない自費出版より、ファンド出版のほうがいくらか希望が持てるでしょうね。
とはいえ、もちろん単なる自費出版に終わる可能性もありますし、やはりそっちの可能性のほうが高いというのが現実であろうと思います。
■まとめ
まあ、どうでもいいことなんですが、私も昔から自費出版やひも付き出版はやりましたけど、お金使ったり他人の力を借りてつくった自力本願以外の本というのは、著者にとってあんまり素性を公にしたくないものだと思ってましたので、決して具体的な経緯を公にしたことはありません。いまもしません。
ところが、最近は出版プロデュースの実績とか、自費出版の実績、といってみなさんどんどん公開しちゃうんですね。著者も納得してるんだから問題ないのでしょう。
特に山田真哉さんのように押しも押されぬ立場になれば、過去の苦労話としてむしろ感心されると思いますけど、なんか編集は黒子です、という文化は過去になってるんですかね。
もう一つ、こうしたリスクヘッジ型の出版形態を見るにつけ思うことがあります。
かつて出版は、書店の買い切りでした。返品は書店の恥、目利きの未熟です。
当時は初版500部でも利益の出る時代、書店の数は少なく読者人口も多くはありませんでしたから、自ずと発行点数も少ない、牧歌的な業界事情でした。
戦後、経済的な発展と読書人口の増加、印刷技術の発達と返品OKの委託制度が発行点数と部数を押し上げ、大量見込み生産時代になります。
流通から見れば、それは書店・取次ぎのリスクを出版社に転嫁したといえます。そのかわり金融面で出版社を助けました。ですが、それは所詮決算書上だけのこと、所詮借金生活ではいつか息切れします。
かろうじて右肩上がりの市場成長が、倒れる寸前で支えていたようなものですが、近年は、市場は縮小、新刊主義による発行点数の増加、文庫、新書の増加による低価格化と、借金の雪だるま状態で、ほぼ崖ッ淵。
それで、今度は出版社がリスクを著者に転嫁しようとしている。
印税率の引き下げや計算方法の変更などもそうですし、出版社本来の仕事である著者探しのコストを自費出版に求めるというのも、著者にリスクを転嫁している事例だと思います。
これらは出版業界の「瀬戸際政策」であろうと思います。
個々の会社は、社員もいますから四の五の言っちゃあいられないでしょうが、業界としてこれでいいのでしょうか。
原因が、市場規模を超えた発行点数と発行部数にあることは明白なのですから、三すくみ状態でにらみ合ってないで打開に向けてテーブルに着くべきじゃないですかねえ。
ではまた来週。
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