おはようございます。
本多泰輔です。
空気を入れると、にょきにょき立ち上がる人形がありますね。
お店のサインポールの替わりに使われたりします。
あの風船人形、空気が抜けると大抵ひざのあたりから、くきっと折れて倒れてしまいます。
わたしの場合、人から少しでも褒められると、風船人形に空気が送り込まれるように、どんどん人格が膨張していきます。
実体を超えて大きくなっていくような気分です。充実感も自信も膨らみ、地上で最も優れた人間であるかのような錯覚さえ覚えます。
一方、ちょっとでも失敗したり認められなかったりすると、たちまち必要以上に落ち込み、空気が漏れ出し、どんどん薄っぺらな人格になり、かくんと心が折れてしまいます。
ま、人生の不惑を越えても、まだ日々そういうことを繰り返しているわけです。中身がないから、骨がないからとか、そういう比喩はできるのでしょうが、だいたいみんなそうなんじゃないでしょうか。
それが日常の哀歓というものだと思います。
庶民は、わたしのように小さな昂揚とささいな傷心を繰り返すのみですが、地位が高くなるにつれ、この振幅は相当大きなものとなるであろうことは、容易に想像できます。
時として身体生命に影響が及ぶことも。
問題は空気の抜ける量と吹き込む量のバランスです。たとえどこかに二つ三つ穴が開いていようと、送り込まれる空気の量が漏れる量より多ければ、風船人形は威容を保つことができます。
「あなたはできる」「あなたは天才だ」「君がやらねばだれがやる」と吹き込む人が多ければ、風船人形は立ち続けることができるのでしょう。
ある日、風船人形がばったり倒れてしまったとすれば、一生懸命空気を吹き込んで人形を鼓舞していた人達がいなくなったからに違いありません。
心替わりしたのか、あきらめたのか、くたびれたのか。支えてくれる人がいなくなったとき、人形はひざを折り、その場に伏したままどんどん小さくなってしまいます。
励ます人は、途中で気を替えず生涯にわたって励まし続けてほしいものです。
■出版業界の3つの疑問
さて、何のことやら意味不明なイントロから始まった今週のメルマガですが、今回も先週に続き、某出版社社長のお話を紹介します(ちなみに次週も続きます)。
今回は、以前から抱いていた出版界の疑問をいくつかぶつけてみました。聞いたのは、次の3つです。
その1、どうして編集者は持ち込み企画を蹴って、とても売れそうにない自分の企画を書かせようとするのか。
よくあるケースです。編集者に会うと、10中10、持ち込んだ企画には、何だかんだと難癖をつけ、雑談の途中でこぼれ出したテーマや、著者の略歴から拾った、編集の思いつきで出てきたテーマに誘導しようとしますね。
おそらくどちらの著者も、必ずご経験があることと思います。「この企画はちょっとアレですが、ご専門分野のこのテーマなら・・・」
と、すこし慎重さに欠けるタイプの編集者だと、著者を置き去りに
してどんどん勝手にテーマを膨らませて行ってしまいます。
ま、わたしのことですが。
それでもなんでも、一冊出来上がれば、それはそれでよかったといえます。もし売れれば、編集者の眼力を褒め称えてあげたいところです。
しかし、これも大抵の場合、売れません。
売れないと、自分の責任を棚に上げ、姑息で不埒な編集者だと、不当にも著者を見限るような振る舞いに出ることもあります。
あんまり売れない本だと、出版したことさえ思い出以上の意味を持たなくなってしまいますから、編集者の口車に乗るかどうかは決断が必要です。
その2、では、どんな編集者なら信頼できるのか。見分け方はあるのか。
持ち込んだ企画そのものに魅力がなければ、どんな編集者でもOKは出しません。しかし、実際問題、企画がNGなのか、目の前にいる編集者がNGなのかは、判断の難しいところです。
クオリティの低い編集者と道連れになったら、ほぼ著者の浮かぶ目はありませんから、できれば能力の高い編集者とお近づきになりたいものです。
その3、採用される企画と蹴られる企画の違いは何か。
採用される企画が、イコール売れる企画であるとはいえません。
でも、とりあえず出版社が「売れそうかも」と判断した企画であることは間違いない。出版社は、なにをもって「売れそう」と見なすのか、改めて聞いてみました。
■どうして編集者は自分の企画に誘導しようとするのか
1についての某出版社社長の答え。
「一番大きな理由は、持ち込まれた企画に魅力がないから。まあ、著者は企画のプロじゃないから、編集者もそこは承知していて、できるだけ本人の持っている能力を引き出そうとする。そうすると会話からこぼれたテーマか、経歴の中から探るしかない」
「もう一つは編集者の個性の問題。何か言わないと編集者じゃないと思っている人もいる。持ち込まれた企画をそのまま採用したら、編集者じゃないというような思い込みを持った人も少なくない。ちょっと偏向した職業意識、または自意識過剰なんじゃないかと思うが、そういうタイプが多いのもこの職業の特徴」
「自意識過剰タイプの編集者は、原稿を書いてもらっても、そのまま通すということをしない。原稿に手を入れなければ編集の仕事じゃないと思っているのか、必要以上にとことん書き直す。著者としては、ある意味自分の代わりに原稿を完成させてくれる人でもあるわけで、重宝な編集者ともいえる。ただし、能力がなくてこだわりの強い編集だと、単に仕事が遅いだけとなる」
編集というのは、一定のイメージを伴う職業ですよね。
もちろん、パイロットや大学教授、弁護士や小説家にも特定のイメージはありますが、こうした職業に較べると実は編集者のスキルには、資格や訓練という担保されたものがありません。
極端に言うと、編集部に配属されれば書体一つも知らない新入社員でも編集者です。編集者には編集見習いも編集者補もありません。
社員イコール編集者です。
入社してくる人も編集者に対する職業イメージがあり、まあ、かっこいいと思っているから入ってくるでしょう。そういう誤解は三月もすれば根こそぎ吹っ飛びますが、周囲の持つ編集者のイメージは、なかなか変わりません。
そうこうするうちに何となく周囲のイメージに、自分を合わせようとするのか、諸先輩がたが、ぶつぶつ言いながら原稿直しているのを見て真似をするのか、どう見ても素人の新人編集者まで、「原稿がひどい」と言い始めます。
ま、確かにひどいんですけど。
新人の原稿も負けず劣らず十分ひどいのです。
さて、ここは某出版社の応接室。目の前にいる編集者は、どうやら持ち込み企画がお気に召さない様子。さて、持ち込んだ企画に魅力が足りないのか、はたまた編集者のレベルが低いのか。
■ヒットメーカーであれ
「著者にとってよい編集者には二つある。一つはヒットメーカーである能力の高い編集者。これは会社にとってよい編集者。社内で力がある編集者なら大抵の企画は通せるし、著書がヒットする確立も高くなるから、著者にとってもよい編集者といえるでしょう」
「もう一つは、面倒見のよい編集者。著者のいいところを引き出そうと熱心に動くし、原稿アップまで何くれとなく世話をしてくれる。もし、企画が社内で通らなければ、他社に照会してくれるのもこのタイプ。どちらかというと女性編集者のほうにこのタイプが多い」
では、相手がヒットメーカーの編集者かどうかは、どのようにして確かめればよいのでしょうか。
「聞けばいい。これまでどんな本をつくってきたのですか、と聞いて、知ってる本が3つ4つあれば、それなりのヒットの実績があると見ていい」
売れない本は、ほとんど世に知られることなく消えていくのですから、一般の人が聞いたことがある、見たことがある、という本なら、そこそこ実績を残したものといえましょう。
もうすこし正確さを期すならば、事前(あるいは事後)に出版社のホームページを開き、売れ行き良好書をチェックしておけばいいでしょう。
書店向けに既刊本を紹介するコーナーでもあれば、そこでチェックできます。
特にそうした案内がない場合は、どこの会社も売れてる本を表に持ってきますから、ざっと眺めて出てきた本を頭に入れておきましょう。
ただ、超ベストセラーは、編集者の実力とはあまり関係ないので、ヒットした本の数を実力の目安にしたほうがよいでしょう。
年間に4本以上ヒットさせていれば、まあ実力者です。
面倒見のよい編集者は、あえて見分けようとしなくても、会っていればわかりますから、説明は必要ありませんよね。
面倒見のよい編集者というのは、会社からすれば手離れの悪い編集なので諸手を上げて歓迎というわけにはいかないのですが、著者にとっては大変ありがたい存在です。
概して女性編集者に多いそうですので、訪問の際には、嫌われないよう身だしなみに注意すると共に接し方も上品にしましょう。
■まとめ
要するに、なるべく能力の高い女性編集者とつき合ったほうが、著者にとっては利益が大きいということになるようです。
男性でも面倒見のよいのはいますけど、概して若い編集です。
だいたい実力がついてくると、手間のかかることをしなくなるのが男性の特徴ですから、老けた編集者が相手だったら、冷徹に実力のみを見分けましょう。
どうしても見分けがつかなければ、よい点、悪い点をはっきりと述べるタイプかどうかをチェックしましょう。基本的には、相手が著者の良いところに注目するタイプとならつきあってもよいでしょう。
漠然とした表現をするなら、褒めるところが見つけられないのですから、道連れとしては相応しくありません。
実力のない編集者と道連れになると、なにが損なのか、と3の採用される企画と蹴られる企画の違いは、次週にします。
ではまた来週。
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