おはようございます。
本多泰輔です。
唐突ですが、右旋回の時代は終わったなあ、という気がいたします。
この10年は、保守系右派の人々にとって、恐らく戦後最大のチャンス、または最も盛んな春だったのではないかと思います。
97年、テポドンミサイル(ロケット)が列島上空を飛び越えて行ってから、日本は急激に右旋回に入りました。
右傾化勢力は、以前からもありました。ちょっと寺島実郎さん風に言えば「地下水脈としての右派は、いつの時代にも一定量存在」していました。
この地下水脈が、徐々に地表に近づいていたことを示す現象はあまり思い当たりません。
だから、テポドンが地下水脈を直撃したことで地中に亀裂が生じ、拉致問題が明らかになった時点で一気に加速がついて地上に噴出した、という具合に考えていました。
右旋回の終焉は、別に安倍首相の突然の辞任でそう思ったという訳ではありません。
実は、現在公開中のアニメ映画「劇場版新世紀ヱヴァンゲリヲン」を見てたら、ふとそう思ったのです。
本作品は、96年、97年に映画化され、社会現象とさえいわれました。私見でいえば、全編が不条理で、カミュやカフカほどの丁寧ささえありません。
自分勝手な散文詩、しかも書きかけ、だが映像は一級品、というのが本作の特徴だったと思います。あくまで私見です。
その不可解な作品が、10年ほど前に社会現象となりました。
で、先週、その作品のニューバージョンを見たわけですが、かつてと違ってなんら胸騒ぎがしない。ムーブメントの気配もない。
今回は、全4作で後3作あるようですが、どうも回を追うごとにしぼんでいきそうな雰囲気を感じます。
やっぱり時代は変わったんだなあ、自虐的な少年が自己主張するというプロセスに、もはや今日の社会は共感できないんだなあ、と思った次第です。
かつての映画に共鳴した自虐青年たちの自己主張は、蹉跌した、あるいはすでにいずかに去って行ったのだと思いました。
10年前ヒッキーやオタ青年たちが、カミュ言うところの「自虐から反抗」の行動として選んだのが右傾化の奔流であり、彼らの役割はかなり大きなものだった。
恐らく社会を動かしているような錯覚を覚えたことでしょう。
仮想空間上でのデモに毎日参加していたのだと思います。
さしずめ2ちゃんねるは、新宿西口広場ですね。
平日の昼間でしかたが、劇場にはそれっぽい若者、具体的にはヒッキーっぽい(宇多田ヒカルではありません、引きこもり風です)のが何人かいました。
彼らは、果たして新たに自虐から反抗への途を選ぶのか、それはいかなる形を採るのか、右傾化の間欠泉の番人になるか、自立するのか、再び引きこもるのか、まあ、ちょっと気になるところです。
しかし、最近渋い映画がありませんな。
そもそも映画が面白ければ、こんな余計なことは考えなかった。
■いつまで続く、会計本
世の中が右左どっちに傾いているかは、ビジネス書にはあまり関係ありません。
でもベストセラーには、色濃く影響しているように見えます。
社会が右傾斜に昂揚していなければ、やはり『声に出して読みたい日本語』(斉藤孝著 草思社)や『国家の品格』(藤原正彦著 新潮新書)などが、あそこまで部数を伸ばしたとは思えませんし、『嫌韓流』シリーズ(山野車輪著 晋遊舎)に至っては、言うに及ばずでしょう。
では、ビジネス書は何に影響されてベストセラーとなるのでしょうか。答えは、わかりません。
多分、ビジネスマンおよびビジネスマン予備軍が、いま一番必要だと思っているテーマなんでしょうけど、問題はそのテーマが何なのかです。
さて、何なのでしょう。
最近まで、どうやら初歩の会計学に世間の関心があったらしいことはわかります。
これがトリになるのか、いま朝日新書『財務三表一体理解法』(国貞克則著 朝日新聞社)が、ベストセラー街道驀進中です。
朝日新書始まって以来(始まったのは最近ですが)のベストセラーじゃないでしょうか。
朝日新聞出版局の傾向からして、この本にそれほど力を入れていたとも思えません。
類書としては、はっきり言って後発、『社長のベンツ・・・』からだって、すでに一年以上過ぎているわけですから、もうどじょうなんか残ってない、と思われる柳の下に飛び込んで行ったわけで、お殿様「朝日新聞」らしいなあ、と思って見ていました。
ところがあにはからんや、新聞御三家筆頭は意外に商売人、紀伊国屋文左衛門の向こうを張るような大当たりを打ち出しました。
うーむ、御見それいたしやしたぜ。旦那。
『さおだけ屋・・・』『社長のベンツ・・・』に較べれば、オーソドックスなタイトルですが、決算書と言わずに『財務三表一体理解法』と言ったところが読者の琴線に触れたのでしょうかねえ。
しかし、何だっていつまでも会計の本が売れているのか、まことに面妖であります。
雑に計算しても、ここ数年すでに200万人以上が会計の本を読んでいるわけですから、もういい加減わかったんじゃないかと思うのですが、一向に読者が減らない背景がよくわかりません。
それに会計の本全体が、売れてるわけではないんですよね。
売れているのは、ほんの一部です。
会計の本が読みたいんじゃなくて、『財務三表一体理解法』が読みたいということなんでしょうか。
あるいは、他の会計本がよっぽど出気が悪いのでしょうか。
謎です。
■「頭がよくなる」から「勉強」へ
「頭がよくなる」本、「脳」の本、「勉強」の本も已然しぶといテーマです。
ま、これは読んだからといって、頭がよくなるわけではないので、読者が減らないというのはわからんでもありません。
英語の学び方をいくら読んでも英語ができるようにならないのと一緒です。日本語で書かれた本をいくら読んでも、英語ができるようになるはずがありません。
「頭のよい人の勉強法」は、頭のよい人だからできるのであって、普通に人には向きません。「イチローのバットコントロール」と同じく、言われたからって、だれもができるわけではありません。
それにしても、頭がよくなる本をいくら読んでも、一向に頭がよくなった気配がなければ、どうやらあまり効果がないということに、気がついてもよさそうなものですが、読者が減らないのはどういうわけでしょうか。
あんまり頭がよくないのでしょうか。
不思議です。
さすがに「話しかた」の本は終息しましたが、頭シリーズがこんなに長く引っ張るとは思いませんでした。
何でみんな、そんなに頭がよくなりたいんでしょう。
頭がよくなるよりは、運がよくなるほうが、はるかにお得だし、勝負の分かれ目には、あんまり頭がよくても役に立たないことは、体験的にわかっていると思うのですが。
だいたい昔から、百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず、百考は一行にしかず、といわれるように、勉強するより体験するほうが効果的ということは、古来明白です。
ま、体験学習というのもありますけど、それでも頭がよくなりたい、効率のよい勉強法を会得したい、と思ってらっしゃるらしい200万人以上の方々は、果たして何を求めて勉強しようとしているのでしょうか。
本当わっかんないですよねえ。
■結局のところ謎です
以前から何度も書いてますけど「勉強法」は、戦前からあるテーマで、いわば不滅のテーマです。
戦前は、もっぱら学生ないし勤労学生を読者対象としていましたが、現代ではビジネスマンも大きな読者層です。
戦前には、ナントカ学校のダレダレ先生の講義をまとめたノートを売る、勤労学生相手の泣かせる商売がありましたが、秀才のノートは十分な商品価値があったようです。
ちなみにノートは大抵簿記、会計の講義をまとめたものでした。
当時から会計は人気があったんですね。
しかし、ほとんどのサラリーマンは会計知らなくても、ほぼ仕事に支障はないはずなのですが、不思議ですね。
そりゃ知らないより知ってたほうがいいですけど、科目がわからなくても決算書は読めますからね。
それに知っといたほうがいいなら、法律だって知っといたほうがいいし(会計も一部法律ですが)、ビジネス書だって広く読んでおいたほうがいい。
でも現実には「SOX」なんてだれも見向きもしませんわね。
ああ、世界の中心で、なぜと叫びたい。
あ、どうでもいいことですが、「エヴァンゲリオン」をチェックしてたら、テレビシリーズの最終話のタイトルが「世界の中心でアイを叫んだけもの」でした。
時系列でいうと、例の小学館の200万部ベストセラーの出版はエヴァの5年くらい後ですから、これは、つまり、その、いただかれたのでしょうな。
と思ったら、そのエヴァに先行すること16年前に『世界の中心で愛を叫ぶけもの』(ハーラン・エリスン著 早川書房)が出ていました。
本タイトル→エピソードタイトル→本タイトルという、パクリの無限連鎖です。どれもヒット作というのが凄いです。
■まとめ
そういわけで、どうも読者の動きというのは、よくわかりませんね。理屈ではない、何か本能のようなものに突き動かされているのでしょうか。
200万人読者がいても、本邦全人口からすれば、わずか1.6%足らず。書店に50人来るうち、一人買っているかいないか。
つかみようがないのも無理ありません。
見えないベストセラーより、見えるヒットをねらいたいところですが、実際はヒットも見えません。
ではまた来週。
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