おはようございます。
本多泰輔です。
このところ、根拠薄弱な世相分析を続けていましたが、右傾化社会については雨宮処凛という女性の書いた本が、いいところ突いてると思います。
この人は、元右翼で北朝鮮に行ったり、イラクで「人間の盾」(滞在費はフセイン持ち、ま、そりゃそうでしょう)をやったりと、まだ若いですけどいろいろ大胆な経歴をお持ちです。
現在は、本人も含むロスト・ジェネレーションのリート・フリーター問題に取り組み、社会評論のほか小説も出しています。
ま、彼女くらい、幅広く起伏に富んだ経歴なら、どこの出版社もほっときませんわな。
いずれにせよ、彼女のお陰でずっとひっかかってたことが、かなり啓蒙されました。
そのロスト・ジェネレーション、ニート・フリーターたちのジャンヌ・ダルク、雨宮処凛が言うところでは、就職氷河期と企業の成果主義人事に露われるグローバリズム、市場原理主義が、正社員(勝ち組)、非正社員(負け組み)の格差をつくり、「透明な天井」に押さえ込まれていたニート・フリーターたちのル・サンチマン(弱者の怒り)が、彼らを右傾化、愛国、保守化へと傾斜させ、右傾化社会を一番底、二番底から支えていた、ということです。
自分たちをニート・フリーターにした張本人である保守政権を支える側に回るというのは、すごい矛盾のような気がしますけれども、小泉八雲の『怪談』にある、約束を破って他の女を嫁に迎えた男への恨みが、罪のない嫁を惨殺することへと向かうお話のように、動機と行動は概して一直線ではありません。
彼女の凄いのは、ゴスロリファッション(映画「下妻物語」でヒロインが着ていたようなフリフリ服で、色調がブラック)だけでなく、ニート・フリーターの一人ひとりが現実を自覚して立ち上がれば、社会は変ると言っていた(と思いますけど)点で、『阿Q正伝』を書いた時の魯迅のことば「阿Qが革命すれば中国は革命する」を思い起こさせます。
魯迅ほどではないにせよ、それなりに絶望と虚無を体験した人なんでしょう。それにしても阿Qとニート・フリーターって似てますね。
魯迅の話になると、記憶の地下から個人的ノスタルジーが沸きあがって来て困るので、さっさと本題に移ります。
■本は著者の肩書きで売れるわけじゃない
いま売れている朝日新書『財務三表一体理解法』(朝日新聞社発行)の著者国貞克則氏は、実務にはかなり深く精通している人ですが、税理士、公認会計士という資格者ではないようですね。
あえて表に出してないだけかもしれませんが、朝日新聞社のようなイノセントなところが、資格者の肩書きを付けないほうが易しそうだから売れる、などということを考えるはずもないので、まあ実際経営コンサルタントなのでしょう。
『さおだけ屋・・・』『社長のベンツ・・・』は公認会計士が著者でしたが、つまり読者は著者の肩書きよりも、中味のわかりやすさで選んでいるということが『財務三表一体理解法』のヒットで再認識されました。
ひょっとするとさらに価格の差で選んでいるのかもしれませんが。
読者は、肩書きでなく中味で選ぶというのは、書くほうにしてみれば、それだけ活躍の場が広がるわけで、都合のよい話だと思います。
ただし、国貞氏は「六本木ヒルズで一番わかりやすい会計講座」で、すでに有名人でしたからOKだったので、一般の経営コンサルタントのかたがこれから「会計」の本で一発勝負しようと思っても、編集部は保守的ですからすんなり通してくれるとは限りません。
そういう時は「あの朝日新書の『財務三表一体理解法』を書いた国貞克則さんも税理士、公認会計士じゃありませんよ。読者は肩書きなんか見て本を買ってるわけじゃありません」と主張すべきです。
すると相手は「では、六本木ヒルズに匹敵するような、どんなアピールをお持ちなのですか」と意地悪く訊いてきますので、「わたしの会計講座は、三歳の子供でもわかった」とか、「家の犬は決算書が読める」とか、編集者が耳を疑うようなはったりをかますのも面白いかもしれません。
とはいえ面白だけで、会社の体質と編集者によっては、かえって致命的な悪印象を抱かせることにもなりかねませんが。
■会計の本を買う人たちを想像する
ある大企業の監査役に聞きました。
「どうしてみんな、あんなに会計の本ばかり読むのでしょうか」
監査役は言いました。
「株やるのに決算書が読めなければ、株買えないじゃない」
監査役曰く、株の購入単位が下がって個人株主が増えた。
株を買う、または買おうとすればIR情報をいっぱい渡される。
素人がIR情報を見てわかるのは、誰がCMキャラクターやっているかくらいだが、本当に肝心なことは財務の情報だ。
だが、今期は償却が増えたので利益を圧縮したが、来期は大幅に財務体質が改善される見通し、とか書かれていても、決算書が読めない初心者には何がどうなっているのかわからない。
それと証券会社は、過去の歴史から基本的に信用できない。
すくなくとも百万円近い金額を投資する以上、一か八かで金を放り込む人間はいない。だから、ある程度決算書を理解するために会計学を勉強しようと思って、できるだけわかりやすいのを選んで読んでいるのではないか。
「でも『株式投資のための決算書の読み方』とかいうのは、まったく売れないんですよね」
「株式投資の本には、だいたい決算書の読み方についても記されている。株の本の一部だけでは不十分だから、本格的な会計学の本を読むんだろう。
そもそも株の本というのは、たいてい投資を奨める内容だから決算書の読み方も甘いのではないかという疑いが、読者にあるのかもしれん」
ま、そこまで疑いながら本を読む人はいないでしょうけど、株式投資初心者はやはり会計に対する知識欲が強いのは間違いないでしょう。決算書は、株価に直結する企業の成績表ですからね。
株の本をいくら読んでも、要するに企業の評価が適切にできなければ、投資判断はできないわけですので、ニューカマーの投資家たちは、株式投資の入門書の次にアドバンスコースとして会計学へと導かれる、ということをこの監査役はおっしゃっているわけです。
一応、説明の筋は通りますよね。
では、なぜ「会計学」の本全般が売れるようにならないのか。
「投資判断をするのに、会計学の専門家になる必要はないでしょう。わかりやすいやつを一冊読んで、必要なレベルを理解したらそれでいいんです。
それに読んでる人は素人なんだから、どれがよい本かは判断しようがない。とりあえず手にとって、わかりやすいと思うのを買うでしょう。
話題の本があれば、それに集中するのはむしろ当然のことです。話題の本は、一応会計について知ってるつもりのわれわれでも、読んでみようかという気になるからね。
読んでみると、大したことないものもあるし、意外に勉強になるものもある」
結局、読者の多い市場であっても一極集中になるということですね。
それでも読者は学生ではない、経理担当者でもない、監査役でもない、素人だと企画を定めている本は、メガヒットではないにしても、そこそこ版を重ねているようです。
しかし、読者が投資家だということになると、
「株でもうけるための・・・」と付けたくなるんですけどねえ。
やはり動機と行動は一直線ではないか。
■なぜ売れぬ「日本版SOX」
なお、ついでに訊きました。
「ところで、SOX関連の本はさっぱり売れないのですが、なぜなんでしょうね」
「日本企業で、SOXなんてまだ早いよ。早すぎるといってもいい。SOXは、環境会計と同じだと思うよ。重要ではあっても、いまは必要じゃない」
「と、おっしゃいますと・・・」
「コンプライアンス、CSRと来てSOXでしょ。日本企業は、まだコンプライアンスとCSRのファンダメンタルが社内にできていませんよ。そんな状態なのにSOXなどと背伸びしてもしかたがない。
他社のやらなければ、どこもやらないのが日本の会社です。
だから必要ないんです。
要するに、いまはまだそういう段階だと思う。大企業だってそんなもんなんだから、中小企業は推して知るべしだよね。
いま食品の表示義務違反が目立っているけど、とりあえず口に入るものじゃないから、大騒ぎになってないだけで、日本企業の体質はどこもいっしょ。
偽装請負なんかもそうだよね。ばれなきゃいいんだというところある。ばれそうになると身内で処理しようとする、外部に漏れたらうそをつく、どうしようもない隠蔽体質。
そもそもお役所が一番そういう体質でしょう。新聞社やテレビ局だって同じ。あれはすべてコンプライアンスであり、CSR。何にもできてないのにSOXもないでしょ」
「それは企業自身がよくわかっていると」
「そう、その通り。出版社だって似たようなもんだろ」
「監査役のところもそうなんですか」
「い・・・いや、うちはきちんとやってるよ」
なるほど、SOXは知ってたほうがいいけど、知らなきゃならないことじゃない。
まだ、そんな段階なのだから、本まで読んで勉強しようという酔狂はコンサルタントくらい、てなことでしょうか。
ということは、後何年か、あるいは十何年か後には、SOXブームが起こるかもしれませんな。生きてるうちに見たいものです。
ではまた来週。
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