寒中お見舞い申し上げます。
今年もよろしくお願いします。
すこし遅れ気味の新年ご挨拶で失礼しました。
なにかと寒さが身に染みる09年ですが、みなさんいかがお過ごしですか。
半年間のごぶさたでした。本多泰輔です。
この前、メルマガを発信したのは昨年夏でした。
たしか暑中見舞いだったですね。
あのころは、暑い暑いといいながら、高騰する石油や資源価格に悩まされていたのですが、まさかその一ヵ月後に「リーマンショック」が起きるなんて、想像も出来ませんでした。いまは寒い寒いといいながら、冷えた景気にうろたえています。
この半年でいろんなことがひっくり返ってしまいました。
いまは、雇用の悪化が深刻化していますが、ほんの半年前は向こう三年間は企業にとって採用難が続くといわれ、採用サポートの会社と新卒学生は、わが世の春を謳歌していたものですが、いまは霜枯れて吐く息さえ凍りつきそうな惨状です。
再び就職氷河期、一寸先は闇、春は長く続かないものです。
あまり報道されていませんが、恐らく人手不足に泣いていた飲食業界やジリ貧気味だった安売り型の業種は、かなり息を吹き返しているんじゃないかとだと思いますけど、どうですか?
いずれにしても変化が速い、こんなに速い変化は日本史にもなかったんじゃないかと思います。たぶん世界史にも。
まあ、変化に素早く対応することがリスクを最小にするんだと、企業はこれまでいろいろ改革してきたわけですから、スピードが速いのは当然かもしれません。
さんざん三つの過剰、設備(在庫)、雇用、債務を眼の敵にしてきたわけですから、景気が悪くなれば、ブレーカーが落ちるようにただちにこの三つを切るのは至当。操業はストップするし、仕入れも抑えてる、工場も閉鎖するし、雇用も切るし、無理な販売もしない。
日本で最も進んだ生産システムを持つトヨタを始めとする自動車産業が、瞬時にこの三つを切ったのは、ある意味これまでの改善の結果といえます。
しかし、縮小が速ければいいのかというと、どうもそうでもないみたいですね。
一つ一つの会社としては最善の対応なのに、産業全体に予想以上のダメージが広がる、ここでもいわゆる合成の誤謬が生じているのではないでしょうか。あるいはこれから生じるのかもしれませんが。
■時代はめぐる
「世界同時不況」とか、「100年に一度の不況」とかいわれる割に、出版界の反応はこの状況に対しちょっと鈍いように見えます。
最近になって、やっと「恐慌」本が出始めてきました。ま、10月から始めていれば、発行はこの時期になってしまいますから、致し方ないところもあるのですが。
単行本はタイムラグがあるものの、雑誌、電波を含めマスコミ全体は已然鈍いように見えます。ほとんどのマスコミの関心は、オバマ新大統領のほうに集中していますね。
その次が、せいぜい雇用。実際、売れているのもオバマの演説本ですし。オバマって他国の大統領なのに。
アメリカ大統領にだれがなろうと、不況が好況にチェンジするわけはないのですから、もうちょい足下の問題に眼を向けて欲しいと思います。雇用不安も大変ではあるのですが、倒産のほうがもっと大変です。
なかには、不景気なんて気分の問題だから、みんなで気分を盛り上げればなんとかなる、というようなややお気楽な主張もあります。
「不況時だからこうやって損をしない投資をしよう」、みたいなものもありますね。このうえ投資マインドを失わないタフな人って、日本にどれだけいるんでしょうね。
まあ、でも90年代初頭のバブル崩壊のときもそうでした。
本多はそのころ、数百人の経営者と直接会う仕事をしておりましたので、よく言われたもんです。「気分の明るくなる話が聞きたい。どうすれば明るくなるのか聞きたい」と。
はずれてもいいから、明るい見通しを聞きたいと、元気が出る話を聞きたいと言われてずいぶん無理な要望に応えたものです。いまなら絶対しませんが。
だいたいまったく明るい見通しなんかないのに、耳ざわりだけのいい加減なことを言ってたら、よくなるものもよくならない。ま、そのへんがバブルの余熱だったのでしょう。
NYに行った日本人が、東京よりNYのほうが明るい、日本は深刻すぎるのではないか、などと言ってますけど、余熱に感心しているのでしょう。
しかし、当時暗い見通しで「定評」のあった高橋乗宣さん(高橋さんは、景気見通しは渋いですが、人は明るくていい人です。最近、暗さ全開の恐慌本を出しましたね。
お元気そうで何よりです)が、「すこし明るい話もしましょうか」とアジアの株式の話をしたくらい、中小企業の親父さんのプレッシャーはきつい。ま、鍛えられましたなあ。
さて、そんな親父さんがたの期待とは裏腹に、当時ヒットした本は、90年『陽はまた沈む』版元は、おお、草思社!隔世の感ありです。そして92年『複合不況』、同年『清貧の思想』と、不況色の強いものばかりでした。当然です。
いまの出版界、というかマスコミの動きは、90年代バブル崩壊の始めのころに似ています。明るくもないのに、明るい話を求めてうろうろしています。でも、まあそういうもんなのでしょう。
読者も視聴者も本気のところでは「明るいわけないよなあ」と思っているのですが、表面的には「どうすれば明るくなるのか聞きたい」と言うのでしょう。でも、明るい話聞いたって、明るくなんかなれないんですよね。
■テーマもめぐる
こういう不況時には、ビジネス書業界は出版業界の中で相対的に浮上します。
相対的、というのは、要するにそれ以外のジャンルが沈むからで、ビジネス書全体がどんどん伸びていくということではありません。伸びる会社もありますけどね。
それでも、不況になれば、どこの会社もほぼやることも考えることも同じようになりますから、ビジネス書は好況時または平時のようにテーマに困ることはありませんよね。
安直に90年代のテーマをトレースしてもいいわけです。
『複合不況』は、「不況輸出国アメリカの研究」に置き換えられますし、『清貧の思想』も「21世紀版清貧の思想」ですし、『節約生活』は「緑と健康の節約生活」、あるいは「脱石油型の節約生活」に衣装替えできます。
90年代の真ん中あたりでは、当時はアメリカの独り勝ちだったですからアメリカからBPRなんぞという改善手法が輸出されて来ました。
金融ビッグバンなんてのもありましたな。全然バンしなかったですけどね。本はまあまあ売れたと思います。今回はそんな新しい手法やイベントはまずないでしょう。なにしろアメリカがあれですから。
ただ、ネット上では「アメリカが新通貨に切り替える」とか「オバマはデノミをやる」とかいう噂が駆け巡っていますので、ひょっとすると21世紀始まって以来(まだ始まったばかりですが)のスーパーイベントが起こるかもしれません。真偽のほどは定かではありませんが。
デノミって、日本じゃしょっちゅう噂になりますね。直近はITバブルがはじけた後、03年ころだったでしょうか。あのころ、お金持ちは本気でびびってました。
アメリカがドルの基軸通貨というポジションを棄ててまでデノミを行うのか、という点では眉唾な感じがしますけど、もはやそんな余裕はない、なりふり構わず国家として再生しようという強い決意があるならば、やるかもしれませんよね。
いまのところ、そんな覚悟があるようには見えませんけど、見せてないだけかもしれません。デノミなんて予告してやるもんじゃないですから。
びびりました?
ところで、年俸制や成果主義が出てきたのも、確か90年代の真ん中より少し前のころだったんじゃないでしょうか。初期導入段階では、そんなに話題にならなかったですね。
リストラなんてことばもそのころでした。
最初はちゃんと「リ・ストラクチュアリング」って言ってたんですけど、いつの間にかリストラ、イコール解雇という日本語になってしまいました。
リストラばかりやってると、組織の活力が落ちるので、90年代後半になると社員の意欲を上げるための方法論や現場のリーダーたる幹部を叱咤激励する本も出てきました。
就職氷河期でしたから、学生は試験に有利になるよう「SPI」なんてものを必死に勉強しましたし、コミュニケーション能力を求め、「話し方」が買い込みました。
ちょっと、またですか、っていう気もしますが、こういうことは99%繰り返されることだと思います。
ビジネス書の出版社も著者も、いまこの時期に活動しないでいつ活動するんだ、というくらい時代は追い風が吹いてます。と思います。
■浮世絵師歌川広重
話は変わりますが、正月休みにテレビを見ておりますと、かの広重の『東海道五十三次』は盗作か、という番組をTXが箱根駅伝の裏でやっておりました。多くの人は箱根駅伝のほうを見ていたでしょうけど、これが意外に興味深いものでした。
どこが興味深いかといいますと、当時の版元、出版社ですね、江戸時代の出版社も今の出版社もやってることが変わっていない、ということ。
広重が盗作したかどうかは、著作権法のない、コピーのない時代、書物はみんな書き写していた時代のことですから、構成要件を満たしませんし、まあどうでもいいんですけど、どうやら当時の版元が参考資料をいくつか持って、
「安藤様(広重の本姓は安藤で、武士ですから町人たる版元の主は多分こう言ったことと思います)、いま世間では名所の絵柄がたいそう人気です。なかでも、やはり東海道五十三次が人気が高い。ぜひひとつ東海道五十三次シリーズをやってもらえませんか」
と広重に依頼に行ったみたいなのです。
広重は「そういわれても、わたしは東海道を歩いたことがないし」と躊躇したでしょう。すかさず版元の主は「いえいえ、歩いていただく必要はありません。
ほれこのように五十三次の名所を描いたものがございますれば、これを参考に描いていただきたく」と既に発行された東海道名所絵図を2、3点差し出したことと思います。
つまりはパクリです。
現代に置き換えてみると、出版社の編集が知り合いのライターのところへ、「いま、戦国武将が人気だから、これ見て一本仕上げてよ」と、類書を5冊ばかり渡して行くというところでしょう。そして、意外なことにそれがベストセラーになってしまった。
歌川広重は、『東海道五十三次』以前では、現在われわれが知る浮世絵師広重ではなく、一介の絵師に過ぎなかった。『東海道五十三次』が浮世絵師広重を誕生させた。
すこし強調した言いかたをすれば、版元が無名の絵師安藤広重を浮世絵師歌川広重につくりあげたわけです。
今も昔も出版社がやってることは安直だけど、唯一の仕事は、才能を見抜くことと発掘することなんだなあと、正月の無聊の内に改めて思いました。
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