おはようございます。
出版メルマガの本多泰輔です。
気がつけばもう師走、いったい何度目の師走かと過去を振り返ること暫しです。
そんな後ろ向きではいけない、前を向こう! と思い直して考えると、いったいあと何回師走を迎えられるのかと、やはりダークサイドに落ちて行ってしまう、そういう季節ですね。って、それはわたしだけでしょうか。
さて、出版業界の斜陽ネタ第3回目であります。
一応、今回がオオトリです。
前回まで、書籍の販売部数が1975年レベルに後退し、一方、新刊発行点数は当時の4倍近くに増えていること、こうした状況は出版社にとっては深刻な危機であるが、新人著者にとっては一面チャンスだと言える、というようなことを述べました。
チャンスはわかったが、じゃあどんな本が出版の近道なのか、そこが見えてこないと本メルマガの存在意義がありません。
著書のテーマを考える上でも、避けて通れないのがネットとの競合問題です。
1995年はネット元年、爾来、ネットの伸張、それと明暗を分けるように雑誌を含む出版界の減退が始まりました。
しかし、書籍の販売部数を見ると、ネット元年以前からすでに頭打ち傾向にあったということは前回述べた通りです。
むろん書籍もネットに侵食されていることは疑いありません。しかし、雑誌と違い書籍全体がネットに淘汰されているということでもない。ユーザーは書籍とネットを使い分けているように見えます。
そこには求められる情報の質の違いがありそうです。
読者に求められる書籍のテーマの傾向と対策の手がかりは、このあたりから探り出すのがよさそうな気がいたします。
■ネットと書籍は棲み分け関係
ネット元年以前には出版物の定番のひとつだった辞書と地図、いまでも両者は書籍として存在していますが、書籍としての需要よりもネットやGPS、それに日本語ソフトの文字検索のほうがはるかに大きいでしょう。
これらのジャンルは、出版物としては風前の灯ですが、見方を変えれば紙からデジタルへ移ったパイオニアであり、電子化の優等生とも言えます。
地図の出版社は実際デジタル化によって、紙の頃に比べれば経営状態は見違えるようによくなっています。
辞書や地図の情報が、書籍よりもネットに向いていることには論を俟たないでしょう。
実際、わたしなんかでも、ここ数年机の上に常にある辞書を手に取ったことがありません。いまやブックエンド替わりとなっています。
同様なものとしては電話帳もそうですね。
もはや電話帳などというものさえ目にしません。
郵便番号簿もたぶん同じような運命を辿っていると思います。どちらも昔は一家に一冊、職場に一冊はあったものですが、現在では印刷物として見ることはまれです。
こうした辞書系の情報源は、すでに書籍からネットへと舞台が移ってしまっています。
スピーチの事例集、文例集、諸規定類など、流用が可能な便利情報というのも、かつてはビジネス書や実用書の堅実な売れ筋だったのですが、いまは書店でもかなり奥のほうへ行ってしまいました。
同じスピーチでも、「上手な話し方」ということになると様子が違います。
スピーチを丸ごとコピーして、固有名詞を変えれば一丁上がりの便利なスピーチ事例集にはオリジナリティを発揮する余地はありませんが、上手な話し方はまさにオリジナリティを上手に発揮するためのハウツーは、どうもネット情報には向いていないようです。
ネットは書籍の天敵かというとそうでもないようです。
両者は微妙に棲み分けている、というより利用者がTPOに応じて使い分けているのでしょう。
ネットで見れば済むじゃん! は必ずしも正しくない
で、本題のこれからの書籍の切口はどうすれば読者に訴求するのか、です。そのヒントもネットにあるように思います。
ネットと書籍の関係には、次の法則があるように見えます。
法則1 本からネットに移った情報→本が売れない
法則2 ネットから本になった情報→本は売れる
法則3 情報をとるのに1分以上かかるものはネットに向かない
法則1のもともとは紙の情報だったものがネットに移ったケース、辞書や電話帳、諸規定集、地図などは、元は本(出版物)が情報源、それらがネットに移ったものです。
同様にヘッドライン・ニュースはほとんど新聞が情報源ですが、ネットに移ったことにより新聞自体は押されています。
法則2は、古くは『電車男』(新潮社)のように、ネットで人気を博したものは出版物になっても売れるという定石があります。携帯小説もこの法則を裏づけますね。
ネットで一度読んだものでも、出版されるとまた読むという現象は、不思議な気もしますが現実です。
やや例としては相応しくないですが、ネトウヨというのはかなり中高年が多いようで、そのせいかオジサン夕刊紙、オジサン週刊誌、オジサン月刊誌、オジサン書籍などは、ネトウヨ的なほうがガンバッテおりますね。
法則3は、言うまでもないように思います。
いま、マイナンバーの本が書店に並んでいますが、マイナンバーの情報は元々は総理府のネット情報が基本です。しかし、マイナンバーの情報が必要な人は、いまさらマイナンバーって何? という人ではなく、事務処理上知らないわけにはいかない人が読者です。
そういう人々にとっては、ネットで仔細を調べるよりも本一冊読んだほうが便利なのです。
すべてがネットで済むというわけではありません。
本のテーマを考えるときには、上記の3つの法則を頭に入れてテーマを選ぶこと。それがひとつの原則かと思います。
ネットと真っ向から対立するようなテーマは避けるべきです。
■必要には2種類ある
ビジネス書は必要に迫られて読む本ですので、ネットで済むならネットで、ネットでは済まないものは本を買って読むということになります。
ただし必要には2種類あります。
いわゆる潜在的な必要と顕在化した必要です。
潜在的必要と顕在化した必要は、氷山の水面上と水面下の関係に似ています。
目に見えている氷山の頭頂部(顕在化したもの)は全体のごく一部で、大部分(潜在的なもの)は水面下で目に見えない。
そして健在化したものは、専門家からすると一見バカバカしいちっぽけなものであることが多いですが、隠れた部分には着目すべき大きな課題がある。
「雑談」の本が売れているようですが、コミュニケーション論や組織論からすれば雑談はしょせん雑談、しかし、その背後には「人間関係」というお釈迦さまの時代から存在する人間の根源的な問題が大きく
横たわっています。
必要なものというのは、「雑談」という氷山の一角として現れることもあれば、アドラーの『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)ように本体の姿で現れることもあります。
しかし、多くは全体の一部が表に出てくるにすぎません。
専門家である著者のみなさまは、健在化した氷山の一角から、その水面下にある巨大な潜在的なものを推し量っていただきたいと思います。
では、氷山の本体がわかったとして、そこに直球勝負を挑めばよいかとなると、それはそうでもありません。
テーマの切口として重要なのは、氷山の一角のほうなのです。
■いかなるテーマにもタイミングがある
どんなよいテーマでも機が熟さなければ読者はついて来ません。
著者は良心からも使命感からも、氷山の一角よりも大事な本体・本質のほうに光を当てようとします。しかし、アドラーのようなケースはまれなのです。
企業経営にとって、入ってきた金を数える会計よりも、どうやって金を集めるかのほうが重要のはずです。
コレステロール値がどうかよりも、貧血を改善するほうが大事なはず。しかし、会計の本は売れても営業の本は相変わらず下火が続いています。
専門家である著者と違い、一般の読者は本質にはなかなか気がつかないものです。
著者と読者のミスマッチは、このメルマガでも過去に何度か述べました。
個人的な見解ですが、読者が顧みない重要な本質論を述べるよりも、「いま読者が重要と思っている」瑣末なことについて述べるのがビジネス書であると考えています。
「今読者が必要と思ってる」ことは、本質的には重要なことでないかもしれませんが、そこから入ることで本質に導く道筋ができる。三車火宅の方便がビジネス書なのです。
危機感のない人に、いくら危機を説いても聞き入れてもらえません。
役に立つ情報とは、その人が置かれているステージよって異なります。衣食の足りない人には、まず衣食を得る道を教えなければなりませんし、全体をリードしていくべき人には、いわゆる帝王学が必要です。
その逆、つまり衣食の足りない人に帝王学を授けたり、全体をリードするべき人に衣食にこだわらせることは、あってはならないし、あっても不毛です。
ネットに現れるヘッドライン情報、書店に並んでいるベストセラーは、そのほとんどが氷山の一角ですが、氷山の一角と軽んじるわけにはいきません。
「いま読者が必要と思っている」ことを顕在化しているのが氷山の頂上部分なのですから、われわれとしてはそこを手がかりにするしかないのです。
そしてわれわれに必要な情報とは、「いま」読者が必要としていることから、「やがて」読者が必要とするものを推し量ること。
結局、出版の未来もここにかかっているわけです。
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